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誠に生きる〈第三章〉  

副長を崇拝しHEDWIGを愛し山本耕史さんを応援する日記

私の原点~大阪紀行(2)

再び口縄坂を上り、ちょっと駅方向へ戻ったところにあった家隆塚

藤原家隆の墓があった場所だと伝えられている史跡。
藤原家隆は新古今和歌集の撰者だった歌人で、
晩年このあたりに“夕陽庵”という庵を設けて過ごしたそうだ。
この辺の地名「夕陽丘」はこの夕陽庵が由来だという説もあるとか…

藤原姓ってだけで、なぜか強い親近感が湧く今日この頃(あはは)

『燃えよ剣』では、お雪さんと副長の過ごした西昭庵のすぐ裏手がこの家隆塚だったという設定になっていて、2人で訪れている。

歌人に明るいお雪さんが藤原家隆について、和歌を引用しながら話している。

“ちぎりあれば 難波の里に宿りきて
 波の入り日を拝みつるかな”
「あの夕陽ヶ丘でございますね」(『燃えよ剣』より)”


それで副長はお雪さんと、庭下駄をはいて家隆塚へ散策に行くのだ。

その和歌の刻まれた新しい記念碑が建っていた。
大阪紀行


“五輪塔があった。そのそばに碑があり
「家隆塚」
とよめた。(『燃えよ剣』より)”


これが五輪塔~

大阪紀行

大阪紀行

『燃えよ剣』の中の副長が見たものと同じものを、今この目で見ている…
現実とフィクションの中で心地よく自分の気持ちが揺らぐのが嬉しかった!

置いてあったパンフレットを読むと、この五輪塔は明治時代に原敬に頼まれた陸奥宗光がここに建てたものだそうだが、五輪塔そのものは江戸時代の物らしい。
110607_1236~01


副長はお雪さんに家隆のことを聞いた後、夕陽について語るのだ。

初めて読んだ時もここが強く印象に残っていて、それ以来ワタシの中では
“「夕陽」と言えば土方歳三”
と自動的に連想され続けて今にいたる(ふふふ)

夕陽を華やかと表現する副長に
“「夕陽が華やか?」
 「華やかでしょうか?」(『燃えよ剣』より)”

と問いかけるお雪さん。

“「ですよ。」
 歳三は言った。
 「この世でもっとも華やかなものでしょう。もし、華やかでなければ、華やかたらしむべきものだ」
 歳三は別のことを言っているらしい。(『燃えよ剣』より)”


美学だなぁ…
男の美学を感じる
そしてロマンチだなぁ…
『燃えよ剣』の副長は、こういうところがたまらないのだ!
繊細さと男らしさと確固たる意志と切なさとを感じる…
それこそが美学なのだ。

そういえばこの場面の後、接吻したお雪さんの唇があまいと感じた副長が
「すると、お雪さんの口は自然(じねん)に甘いのですか」(『燃えよ剣』より)
と聞くのだが・・・

自然と書いて「じねん」と読ませる。
初めて読んだ時から、司馬さんのこういう言葉使いが本当に好きだった。

悪党と書いて「ばらがき」と読む
日照雨と書いて「そばえ」と読む

「日本語というのは素晴らしいなぁ」
と、青臭い十代ながらも初めてそう実感したのが、『燃えよ剣』を読んだ時だった。



家隆塚を後にして、いよいよ司馬遼太郎さんの街へ向かった。

続く~
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