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誠に生きる〈第三章〉  

副長を崇拝しHEDWIGを愛し山本耕史さんを応援する日記

5月11日

今日は副長のご命日
副長が箱館で戦死されてから151年目の5月11日。

土方資料館の館長さんがつぶやかれているように、今日は自宅で手を合わせます。

かなり前のことだが、こんな夢を見たことがある。
たぶん、夢の想定は総攻撃の日なんだと思うが・・・
私は五稜郭内に布陣している中の歩兵隊の姿。
外にはもう新政府軍が迫っていた。
その五稜郭は、シャンデリアがあるものすごく洋風な内装で、ヨーロッパの宮殿のようだった。
ついに敵が内部へなだれ込んできた~
とその時、抜刀した副長が来て、
「ここは俺が守る、お前たちはここを出ろ」
と叫んだのだ。
「私も最後までここで戦います。
脱走は切腹ではありませんか~」
と返すと
「いいからお前たちはここを出て、生きろ
ここを出るんだ」
と凄い剣幕で怒鳴られ、刀を向けられたので
そのまま走って外へ出て、振り返ると
洋装副長が抜刀して戦いへ向かう後姿が見えた。

と、ここで目が覚めたのだった。

かなり前のことなので、多少違うかもしれないが、こんな風な夢だった。

この副長は、顔もおぼろげで、山本副長っぽくもあり、史実副長っぽくもあって、はっきり見えなかったが・・・
抜刀して戦闘の中へ消えていく姿が幻のようだった気がする。

実際は総攻撃の日には五稜郭内に副長はいなかったし、新政府軍が内部になだれこむことはなかったわけだが、今思い出してもなにか象徴的な夢だったなぁ

副長、どうかやすらかに・・・


・宮古湾
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・五稜郭
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・松前にある松前法華寺
(松前城攻撃の時に、副長がこの寺の墓地に砲台を置き、そこから松前城へ砲弾を撃ったといわれている)
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・法華寺墓地から見た松前城址
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・箱館の新選組屯所があった称名寺の副長慰霊碑
(明治半ばの大火で称名寺は焼失。その後ここへ移転されたので、箱館共和国時代の称名寺は今の弥生町にある弥生小学校付近だとされている)
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・副長の命令で何度も新選組が奇襲をかけた七重浜
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・二股口
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・千代ヶ丘陣屋跡
(5月11日に五稜郭を出た副長は、いったん千代ヶ丘台場に入り、ここから一本木関門へと出陣した)
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・副長が目指したといわれている弁天台場跡
(弁天台場で孤立している新選組の救出に向かったとされている)
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この防波堤は函館港改良工事のときに作られたもの。
弁天台場の石垣を使っている
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・再現した一本木関門と副長慰霊碑
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・一本木関門があったと思われる場所

五稜郭からまっすぐ続く道
(この道の脇に亀田川支流が流れていた)
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亀田川支流跡
(関門の柵はこの支流にそって築かれていた)
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海岸町1丁目、若松町交差点国道5号線付近
(この付近に一本木関門があったと思われる)
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・碧血碑
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カテゴリ: ・新選組

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