FC2ブログ
05«1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.»07

Calender

New Entries

MAGNUM1031

メンフィス

HEDWIG

マハゴニー市の興亡

Lost Memory Theatre

薄桜記

ドキリ★ソング by 信玄・謙信

竹中半兵衛

死刑基準

くろねこルーシー

Woyzeck

JAM

鳴門秘帖

Links

RSS Field

All Entries

Search

SOZAI

Powered by FC2blog

QR code

誠に生きる〈第三章〉  

副長を崇拝しHEDWIGを愛し山本耕史さんを応援する日記

広報ひのに山本副長!(3)(追記あり)

(追記)
早くも日野市のホームページで広報ひの1/15号があっぷされました!
「早いな!」(by副長)


山本副長の表紙&インタビューが載った広報ひのが配布された今日は1月11日。

その1月11日は大河ドラマ『新選組!』がスタートした日なのだ。

なんという偶然
いや、見えない糸に手繰り寄せられた必然か・・・

※ここからは広報ひのの山本副長インタビューの内容にちょっと触れます。
日野市HPにアップされるのを楽しみに待っておられるなら、この先はネタバレになっているので読まない方がいいと思います。


山本副長のインタビューはすべてが感動
すべての言葉が胸を熱くさせてくれた。

最初から最後までの一語一句が感涙ものなのだが、その中でも印象的なフレーズが3つあった。

「役を演じたというよりも、史実に基づいて山本耕史が、現代の形で土方歳三という名前で、似た人間を生きさせてもらった感じ、といったらいいのかな。ちゃんとその役を生きた、と思えた役でしたね。」

という中の

「土方歳三という名前で、似た人間を生きさせてもらった」

という言葉。

ああ、まさにそれだ!!そうなのだ!!
史実の副長本人ではないが、あきらかに組!の中にはもうひとりの副長が生きていた。
副長そのものではないが、限りなく副長だったもうひとりの人間が確かにそこにいたのだ。



「戊辰戦争の戦いの中で、近藤さんが新政府軍に捕らえられてなくなるわけですが、以降優しくなったというのは、とても理解でき素気がします。近藤さんと新選組を取り仕切っていた時代が終わったと感じ、心の中で何かがほどけて、日野にいたころの土方さんに戻れたんじゃないかな、と」

のなかの

「心の中で何かがほどけて、日野にいたころの土方さんに戻れたんじゃないかな、」

という言葉。

「心の中で何かがほどけて」
・・・ものすごく実感がこもっている言葉だと思った。
組!で土方歳三として生きて、組!!で最期の一日を生き抜いた彼ならではの、彼しか言えない言葉。

さらに、多摩時代もじっくりと演じてきたからこそ、
「日野にいたころの土方さんに戻れたんじゃないかな」
という言葉は、自分の思いと重なる彼ならではの、やはり彼しか言えない言葉だ。

胸が熱くなるなぁ・・・


そして、最も感動したのがインタビューをしめくくったこの言葉だ。

「土方さんは函館で亡くなっていますが、魂はここ、日野にあると思います。
最後にふるさとに帰って、野原を走って遊びたかったんじゃないかな。できれば近藤さんと一緒に」

うううううう泣かせるなぁ

「ふるさとに帰って、野原を走って遊びたかったんじゃないかな。」

「できれば近藤さんと一緒に」

組!第一回「黒船が来た」のかっちゃんと歳を思い出して、泣けてしまう
あの、きらきらした若者2人の姿が思い浮かんでしまうから・・・

一緒に野原を駆けまわる2人が、すぐに想像できるんだよなぁ・・・

この言葉を読んだとき、ぽろぽろと涙がこぼれてしまった。
泣けた、ホントに泣けた。

山本耕史は今も山本副長なんだなぁ
実感できるんだなぁ、今も。
何十年経ってもそれは変わらない気がする。

この3つだけでなく、山本副長の言葉はどれも実感がこもっていて、インタビューのすべてが感動また感動。
宝物のようなインタビューだった。
スポンサーサイト

カテゴリ: ・新選組

tb: 0 |  cm: 0
go page top

この記事に対するコメント

go page top

コメントの投稿

Secret

go page top

トラックバック

トラックバックURL
→http://yamamotohijikata.blog48.fc2.com/tb.php/5050-d0a4ebec
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
go page top