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誠に生きる〈第三章〉  

副長を崇拝しHEDWIGを愛し山本耕史さんを応援する日記

秋の兼定と宗徳寺のこと

今年の秋は兼定に会える秋

資料館公式のこちらにあるように今年は秋の特別公開があり、三連休も開館していた資料館。

昨日も比較的すいていたのでゆっくりと兼定に会えました。

春に会えて、また秋にも会えるなんて、なんという幸せなことか

開館中の資料館
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秋の涼しい陽気のなかで、ゆっくりと拝観できた
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副長の矢竹が一段と育っていて空に向かってすくすく伸びていた
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資料館で見せていただける資料はどれも貴重なものばかり・・・

中でも、いつも読んで涙が出るのは・・・
兼定のすぐとなりに展示されている安富さんの手紙。
五稜郭内で書かれたもので、副長の戦死を知らせる手紙なのだ。

「隊長討死せられければ」
という一文だけでも切ない。
そして、斜めになった文体や書き損じの跡などが、その時の五稜郭の中の緊迫した空気を感じることができる。
この手紙は、こよりのように細く折りたたまれて着物の内襟に縫いつけられて土方家まで運ばれてきたと伝わっているそうで、官軍に見つかることなく副長の実家に届けられた貴重なものだ。

そんな手紙を書いた安富才介さん関係のことで、最近驚いたことがあった。

それは弘前の宗徳寺についてのことだ。

このお寺は石田三成縁の寺であり、7月の耕史くんの弘前トークショーへいった時に私も訪れたお寺。

(その時のレポはこちら

今は宗徳寺だが、昔は耕春院という名で呼ばれていたらしい。

宗2

宗1


その耕春院こそが、五稜郭降伏後に安富さんが収容されていたお寺だったのだ。

降伏後に旧幕府軍の中の600名近くが弘前藩お預けとなり、明治2年5月21日に青森へ移送され、いくつかの寺へ分散して収容されたそうだ。
その寺の中に宗徳寺(耕春院)もあったのだ。
(新人物往来社『箱館戦争写真集』(菊地明・横田淳 著)参照)

治部殿の縁の寺として訪ねていたお寺が、なんと旧幕府軍が収容されていたお寺で、しかも安富さんが収容されたお寺だったとは!!!

なんという偶然だろうか

まったく知らずに宗徳寺に行っていたのだが、後でそのことを知って驚きました。

戦国の世に思いをはせて訪れたお寺が、実は戊辰戦争後に旧幕府軍にとって縁のあったお寺だたっとは・・・

三成トークショーが弘前で開催されなければ決して行くことはなかっただろうと思うと、自分がそこを訪れていたということに不思議な因縁を感じました。

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カテゴリ: ・新選組

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