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誠に生きる〈第三章〉  

副長を崇拝しHEDWIGを愛し山本耕史さんを応援する日記

とりとめないマハゴニー語り(1)~境界の街

ブレヒトの何たるかもわからないし
ドイツ哲学もわからない
キリスト教色を感じてはいても
(電気椅子の場面とゴッドスペルのジーザスの処刑がダブった程度で)
そもそもキリスト教についてが無知だし
世紀末のドイツ感はあるが、そもそも近代ヨーロッパ史に詳しくない

そんな私が、マハゴニーを観て感じたことを
とりとめな~~く書き散らかしていきたい。
(勝手に思ったわたしの妄想入りの感想です)


観てもこれといった結論にいたらないのに
また観たくなる。
不安定な落ち着きどころのない音階なのに
また聴きたくなる。

観終わった後、自分がどんな思いでいるのかさえ自分でも掴めない。
なんだか掴めそうで掴めない不安定さがある。

それなのに、またマハゴニーへ行きたくなる。

そんな魔力のある舞台、マハゴニー

なぜにこうも惹きつけられたのか・・・

初日からずっとオーラスまで観終わって感じていたのは
「境界線の魅力」ということだった。


マハゴニーの世界は、欲望に支配されているとはいえ、どす黒くどろどろとして目を覆いたくなうような悲惨さや現実的な汚さがない。
身近なようでいてどこか突き抜けていて身につまされる感がない。
かといって遠い世界の絵空事なのかというと、決してそうではなく、現実世界とどこかリンクしている。

登場人物の誰にも感情移入はできないけれど反発や拒絶は起こらない。

あまりに人間の醜さや欲望をリアルに描かれると生理的にも精神的にも拒否反応が起こるが、そこまでのどす黒さはない。

こちらが感情を揺さぶラられたり感情移入をする一歩手前で、線を引かれている感じ。
もう一歩踏み込みたいギリギリの境界で止められている感じ。

この境界線感が妙にハマる。
もう一歩中へ踏み込みたい~という、
そのぎりぎりの境目で置いて行かれる感じがたまらない。

決してすっきりしないし、納得はしないが
くせになる。



冒頭で、車に群がる者たちが亡者見える。
成仏できずに欲にまみれてさまよう亡者の群れ

すると、ここはもう生きた人間のいる現世じゃないのか!?

マハゴニーの世界にいる者たちは現実に生きてる感が薄いような印象を受けるのだが、だからと言って死んでいるようにも見えない。
現実世界からは追い出されても、あの世へは行かず生と死の境界線のあたりにしがみついている人たち
…そんな風に見えてしまうのだ。

ここの住人たちは、ここから出られないのか、もしくは出ていかないのか・・・

(どんなに引っ掻き回しても、この境界線の街から出られないジム
処刑されても、またもどってきて始めからを繰り返しているような気さえする)

人間の欲望が記号化・単純化されているせいか、
どこかあっけらかんとしていて、妙に現実感がない。

成仏できないのではなく、成仏しない者たちなのか。
現世への未練か、死を受け入れられないのか
とにかく、マハゴニーはこの世とあの世の境界線にある世界のような気がするのだ。

この感じがたまらない

理解できそうで、できない感じ
どっちにも傾けない中途さ

境界線ならでは「どっちつかず感」がくせになる。

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カテゴリ: マハゴニー市の興亡

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