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誠に生きる〈第三章〉  

副長を崇拝しHEDWIGを愛し山本耕史さんを応援する日記

2014秋 京都・姫路の旅~油小路(追記あり)

京都駅からほど近く
南北に走る油小路と東西に伸びる木津屋橋通り
その交差したところから数メートル西に進んだ辺りが
伊東甲子太郎遭難の地だ。

なにも碑などは建っていないのでだいたいこのあたりかと・・・

油1

この地点からすぐの堀川通りに出ると、
局長の妾宅があった場所が見える。
通りの向こう側の建物のあたりが妾宅の場所。
油1-2

そして、伊東先生の妾宅も、遭難の地にほど近いところにあったそうだ。


襲撃を受け深手を負った伊東先生はそのまま油小路へ逃れ
本光寺で息を引き取ったとされている。


本光寺
油4

油2

油5jpg

私たちが行った時、本光寺は閉じていて中へは入れないようだったが
なんと地元の方でこのお寺と親しい方が声をかけてくださり、中に入れてくださったのだ~
(本当にたまたまだったのだが、本光寺前で写真を撮っているワタシと友の姿を見かけて声をかけてくださったのだ!
なんて嬉しいハプニングだったんだぁ~\(~o~)/
本当にありがとうございました~)

(追記)
こちらの京都観光ナビサイトに本光寺の見学のことなどが載っているようです。

まさにここで伊東先生は亡くなられたのだなぁ

本光寺内の伊東甲子太郎絶命の跡
油6


地元の方のお話によると、
「当時はな、もっと油小路は広い通りで京のメインストリートやったんや。何でか言うとな、御所にもぶつからずに山までまっすぐ行ける通りやったさかいにな。」
ということで、今より幅も広くてかなり賑わっていた通りだったそうだ。
(だから絶命の地も、当時は通りに面していたんだろうなぁ・・・)

今の油小路
油7

ここからかっしーの亡骸は組の手によって運ばれて
七条通りまで来て、放置された・・・
そしてここで油小路の決闘が起きたのだ。
平助絶命の地でもある(涙)

激闘の地油小路七条付近
油8

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カテゴリ: ・新選組

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