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誠に生きる〈第三章〉  

副長を崇拝しHEDWIGを愛し山本耕史さんを応援する日記

本願寺史料研究所公開講座(2)

慶応元年6月25日に書かれた諸日記には副長の奮闘ぶりが伺える。

配布されたプリントにその全文と文意が載っていた。

とにかく急を要し、すぐに返答をいただきたいお願い事があるから~
と面会を申し出る副長。
日記の文面からも、かなり切羽詰った感が伝わってくるのだ。

200畳ほどの広さにほぼ200人の隊士たち


9月に亀山本徳寺に行った時
本堂の外陣の畳を実際に数えてみたら、
ホントにほぼ200畳だったもんなぁ

この写真は9月に亀山本徳寺を訪ねた時のもの
椅子を並べているところも含めた畳敷きが外陣
この広さに200人のむくつけき隊士たちがいたなんて・・・
DSCN2205.jpg




猛暑と環境の悪化で病人続出
このままでは公務にも支障をきたす
隊士たちの不満も抑えきれなくなる

そんな危機的状況を打破するために寺側との交渉に臨む副長

大喜さんは、松本良順先生が屯所を訪ねた時のエピソードも紹介。
1865年閏5月に良順先生が屯所を訪ねたら、裸でゴロゴロと寝転がっている隊士たちが多くて、局長に聞いたところ
みんな病人だと言われた・・・と。

「この当時の病人は結核とか性病がおもなものだったのでは!?」
と大喜さん。

このころからこんな状態だったから、その後ますます病人が増えて、環境が悪化していったに違いないよなぁ・・・

で、副長が嘆願したのが6月25日
これは今で言うと8月の半ばくらいらしいから
真夏じゃ~~~(ToT)


大喜さんは、この時の新選組について
単なる暑さとか環境の悪さだけではなく
組織としてのまとまりにひびが入り始めたんではないか
それを土方は必死にまとめようとしていたのではないか
とおっっしゃっていた。
というのも、元治元年(1864年)の下関戦争後、幕府も密かに攘夷を放棄していて、幕府の方針転換で局長もその方針に従わざるを得なかったのだが・・・
尊王攘夷という思想の元に集まってきた隊士も多いだろうから、それが方針転換してしまったことで不協和音が出始めたのがこの頃だろうと。
確かに慶応元年(1865年)から内部粛清による死亡が増えている。

病人や環境悪化の不平不満の増加だけではなく
組織としての結束が揺らいでいて、
副長はかなり危機感を持っていたのでは
・・・とおっしゃっていた。

組織の責任者として頭も下げる
隊士の面倒もみて、お金のやりくりもして
とにかく新選組を守り抜くを男
それが土方歳三だ!!!!
~みたいな感じで
「土方は!土方は!土方は!」
と熱く土方連呼しておられました(喜)

聞いている拙者の私情もかなり入ってる解釈ですが(笑)

副長~~~~
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カテゴリ: ・新選組

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