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誠に生きる〈第三章〉  

副長を崇拝しHEDWIGを愛し山本耕史さんを応援する日記

とっ散らかったヴォイツェク語り(1)

まだまだ余韻に浸る日々
いや、余韻どころか、ますます溺れているような気さえする

娘に
「脱ヴォイしなよ」
と言われているが…
「脱ヴォイ」どころか、「溺ヴォイ」じゃ~


そんなこんなで、とりとめもないヴォイツェク語り

もはやヴォイツェクという舞台から離れて、自分語りになってます、…
まとめる気もないんで、とっ散らかったままのウザ語り、
何がなんだか読んでもよくわからんような記事です、たぶん(^_^;)

めっちゃなが~~~い記事です(あはは)



ヴォイツェクには心に残る印象的な言葉があった!

例えば
血まみれ

これは象徴的でしたな…
何度も繰り返して出てきたし、最後のヴォイツェクの言葉として、しかもあのシチュエーションだからよけいに。
「血まみれ」語りだけでも何ページも書けそうなほど。


そして数字も。

例えば
7つの大罪」で、舞台には7つのドア
ドアから出入りする人間たち、
ドア越しの視線、うずまく欲望。
そしてドアの向こうにあったのは、すべてが無であるような静寂、
その静けさがワタシにとっては恐ろしい世界。
まるでこの世とあの世の境界線のような世界だった。



例えば
3グロッシュ
ヴォイツェクが実験動物となり、ドクトルから貰う報酬が3グロッシュ。
そして、凶器のナイフの代金も3グロッシュ。
愛するマリーのために自分の体を投げ出して稼いだ額と、そのマリーを殺すために買ったナイフの金額が同じ…
この3グロッシュを稼ぐために彼はどんなに必死だったか。
それはマリーのためなのに・・・
それをそのままナイフにあてる…なんとも切ない「3グロッシュ」


こんな風に言葉なり数字なりが印象的な使われ方をしていて、観る側がそのどれにとっかかるかは人それぞれなわけだが…。




『ヴォイツェク』を観終わって日が経った今、あの舞台を思い出す時に自分の中で湧き上がってきた言葉がいくつかある。


まず、いちばんは「時間」

最初のカテコでひとり残ったヴォイツェクがドアの中へと去っていったとき、マッピング効果が使われていた。
壁に映し出されたドアが金色の光のしずくとともに消えていく…
その時、最後の最後に消えるのが、柱時計の文字盤だったような記憶が・・・

ドアが消えるよりほんの一瞬だけ時計が遅く消えたような気がする。
(ほんの一瞬なんで、目の錯覚かもしれませぬが(^_^;))

『ヴォイツェク』の中では「時間」が単なる時間ではなく、人々を支配する大きな存在。


ヴォイツェクは言う、

何かが街の入り口まで自分を追っかけてきた…と。

そしてそれが

「そうだ時間だ!
 俺は今時間に追いかけられているんだ」と。


ヴォイツェクは歌う

♪永遠は一瞬だって
一瞬は永遠だっていうけれど
信じられない♪

♪時を弄ぶものに操られて踊るだけ♪

と。


「時間」、それはこの世に生を受けたのもが決して抗うことのできないもの。


時が経てば衰え
時が経てば変わり
時が経てば朽ちていく

それは誰にも止められない

生命あるものは、生命あるがゆえに時間に支配されている。


どんなに力のある者も、どんなに賢い者も、時間だけはどうすることもできない。
ヴォイツェクを弄んでいる者たち、大尉やドクトルたちも、みんな時間に囚われ、怯え、結局弄ばれている。

生きている限りはどうしようもない!


「時を弄ぶものに操られて踊るだけ」

「時を弄ぶもの」とは、なんだろう!?
神ということになるんだろうか!?

時間に追いかけられているというヴォイツェクが、自分と重なる。


どんなに幸せの絶頂にあっても、時は進み、時は終わる
逆に、どんなに絶望の淵にたたされていても、時は進み、時は過ぎる。

抗おうが、身を任せようが、おかまいなしに時は進む。

そして

人がいちばん怯える「時」は「死」だと思う。
時間に弄ばれたその究極が「死」。

生命があるから死ぬ。
生を受けた瞬間から死へのカウントダウンが始まる。

それは誰にも、止められない。

人生のジ・エンドまで、時の流れは止まらない。


限りある人生だからこそ輝きたい!と前向きに生きるか
どうせ終わりがあるから生きていても意味がない…と投げやりに生きるか

この『ヴォイツェク』では、そのどちらも描かないし、主張していない。
ただただ、時に弄ばれている人間たちの姿を見せるだけ。
提示するだけで何も勧めないし、決めつけない。
さあ、あとはどうする、どう考える・・・と。

そこが素晴らしい!!
本当に素晴らしい!!!!


『ヴォイツェク』は、ワタシにとって確かに、心が痛むし、掻き乱されるし
色々な感情が呼び起こされる重く深い作品だったのだが、観ていて妙に居心地がよかった。
苦しくもなるし泣きたくもなるし恐ろしくもなったが、何か居心地の良さがあった。

それは、
時間に追われて日々揺れ動いている自分が舞台上の人々と重なるから。
さらに、
普段は考えないようにしていたことをガッツリと考えることができたから。
そして、
そして、
誰の生き方も肯定もされないし否定もされないし、決めつけられていないから。

・・・そんな気がした。

ワタシにとって、こういう居心地のいい舞台は初めてだったかもしれない。


生き方なんて一定してない
常に揺れ動いている

価値を見出したり、投げ出したり
そのどちらもありだ!
そのどちらも自分の中にある!!

時が過ぎていくのは怖い。
でも止められない。

プラスになったり、負に傾いたり
焦ったり、開き直ったり、あきらめたり
また、思いなおしたり

そうやって揺れ動きながら生きている自分
ただただ時は過ぎていくのみ


「時を弄ぶものに操られて踊るだけ
それでも人生は続いてゆく」


これが効くなぁ
これが最高だ!最高傑作だ!
これを人生のテーマソングにしよう
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カテゴリ: ヴォイツェク

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