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2011箱館の旅 (途中)

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誠に生きる〈第三章〉  

副長を崇拝しHEDWIGを愛し山本耕史さんを応援する日記

兼定刀身

昨日の土方資料館開館日が今年の兼定刀身展示の初日でした!

資料館1

雨にもかかわらず、たくさんの方々が来館されていて、やはり刀身の前では長くとどまって見つめておられる方が多かった。

「今年もまた兼定に会えた

毎年のこととはいえ、そんな喜びで胸が熱くになると同時に、貴重な資料を保管し、こうして一般に公開してくださるご子孫の方々に感謝の気持ちでいっぱいになる。

資料館内の展示は、配置が少し変わっていたようで…
いろいろに工夫されていて、よりわかりやすく見やすくなっていたような気がした!

例えば、石田散薬コーナーでは、牛額草の写真や浅川・高幡不動山門の貴重な古写真が薬箱を囲むように貼られていて、薬の行商に出ていたころの副長のことがよりわかりやすくなっていたり…

鎖帷子の展示も、その細部がよく見られるように広げて展示してあったり…



中でも箱館コーナーは、先日の写真展で副長の写真を見たこともあって涙が出た。

例えば
今まで何度も見ている安富才輔さん手紙。
あの副長写真の実物を見てからあらためて目にしたので、より胸が締めつけられてしまった…

降伏目前の五稜郭の中で書かれた手紙
副長の活躍ぶりを伝える
「二股ト云処ニ出張、大勝利」
の文字
そして
「遂ニ同処ニ而討死にせられ」
と副長の戦死を伝え
さらに安富さん自身も
「何れも討死之覚悟ニ御坐候」
と記している。
副長の戦死を知らせるその文字、
斜めになった文体…、
書き損じの跡…

この手紙が土方家に届けられた時は、細かく折りたたまれて着物の内衿に縫い付けられていたとも伝わっている。

ああ



例えば
副長の甥の土方隼人作助さんが書いた手紙の下書き
これは荒井郁之助さんへの礼状の下書きで、明治10年以降に書かれたものらしい。

荒井郁之助さんは、箱館政府では海軍奉行だった。
あの宮古港海戦で、艦長の甲賀源吾さんや副長とともに回天に乗船し、海戦中に戦死した甲賀さんの代わりに舵をとって回天を宮古湾から脱出させた方だ。
(明治では測量局長や初代の気象台長も務めた)

その荒井さんが土方家へ写真を送り、それに対して書かれたお礼の手紙の下書きが展示されているのだ。
そしてその写真とは「函館脱士墳墓の写真一葉」と手紙には書かれている
「函館脱士墳墓」とは碧血碑のこと。
つまり碧血碑の写真。
荒井さんが碧血碑設立当時の碑の写真を土方家へ送ってくれたことに対して、甥の土方隼人作助さんが感謝の気持ちをしたためた手紙の下書きなのだ。

明治になり、違う道を歩みつつも箱館で共に戦った副長のこといつまでも心にとめ、こうして副長の実家へ写真を送った荒井さん。
それに対して感謝の気持ちを持って礼状を書いた副長の甥の作助さん。

亡くなった副長のことをみんなが愛してやまない、
そんな気持ちが感じられる手紙の下書き…


こんな風に箱館の副長を偲ぶことができる貴重な展示がまだまだたくさんあり、その貴重な資料がこうして形として残っていて目にすることが出来るというのは、なんと幸せなことか…

やはりあの写真展のあとだけに、箱館の副長コーナーには涙涙だった


ああ、また函館に行きたい…

今からまた計画を立てよう、
必ず行くぞ~~~~


雨に濡れてキラキラしていた、副長手植えのの矢竹
矢竹




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