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2011箱館の旅 (途中)

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誠に生きる〈第三章〉  

副長を崇拝しHEDWIGを愛し山本耕史さんを応援する日記

感動の写真展後期(2)

後期展示では副長写真のほかにも貴重な写真がいっぱいあった!

その中でも心に残った数枚について書いてみたい。

まずは、副長写真と並べてガラスケースに展示されていた
「旧幕府脱走軍兵士」

これも戊辰戦争関係の書籍ではよく見かける写真だ!
5人の兵士の写真
(真ん中の3人は立っていて、両サイドの2人は椅子に座っている)
5人が見事なほど違う方を見ている(あは)
1枚の写真なのに、視線がバラバラなのだ~

この写真、実物を見て驚いたのは、
「想像していたものよりすごく小さいものだった~」
ということ。
縦6センチ、横10センチくらいだったもんなぁ
こんなに小さい写真だったとは
集合写真ってもっと大きいイメージがあったんで意外だったぁ~


この写真の右から2番目が人見勝太郎さんではないかと言われているので、その他の4人は遊撃隊の兵士だろうとも言われている。
人見勝太郎さんは遊撃隊の隊長で、伊庭八郎さんとは盟友だった。
箱根・小田原から東北を転戦したあと箱館へ…

箱館政府では松前奉行だった。
拙宅の箱館の旅 松前編にあるように、松前城の博物館には副長や総裁とともに人見さんの写真が飾ってあった。

人見さんは箱館降服後の明治を生き抜いた方で、後年は事業家としても活躍されているし、たくさんの熱いエピソードがあるお方なのだ。




明治5年に撮影された鶴ヶ城の写真と、明治7年頃に撮影された白虎隊のお墓の写真もあった!

鶴ヶ城が石垣だけを残して取り壊されたのは明治7年だから、この写真はその2年前のものということになる。

鶴ヶ城の写真は、めずらしくお堀と城の横を撮った写真だった。
お堀が写真の中心だったので、石垣と城壁のほんの一部が写っているだけ。
だから無残な銃弾や砲撃の痕は写ってはいないが…
でも、見ているとなんだか切なくなった。
それは、やはり「明治5年撮影」という重み
これが大きいのだ

そして、白虎隊の写真もそうだ。
写真を見る限り、今とあまり変わっていない墓と裏の山の風景。
でも、これが明治の初期に撮影されたものなのだという、その生々しさ…

写真というのは、写っているもの以上の何かを感じさせてくれるんだなぁ…
撮影したときの時代背景、撮影される側の立場、生き様、生きた証し、過ぎ去った日々

写真の持つ力はすごいと思った。
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カテゴリ: ・新選組

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