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誠に生きる〈第三章〉  

副長を崇拝しHEDWIGを愛し山本耕史さんを応援する日記

白河・会津の旅(3)

小峰城から歩いて十数分

まず向かったのが白河戊辰見聞館

白河見聞館


ここではさまざまな戊辰戦争の書簡や武器などが展示されていたが、やはりシンパシーをイチバン感じたのが容保さまの書だった!

中でも、容保さま直筆の掛け軸の和歌

「吹き荒れる嵐の音の激しさよ
 とだえがちなる夢の浮橋」

たおやかでしっかりした筆運び
この歌を詠んだのがいつかはわからなかったが、殿の心情を思うと胸が熱くなった(ToT)




そして次に向かったのが皇徳寺
皇徳寺1


ここには白河の戦いで戦死した新選組隊士 菊地央さんの墓と列藩同盟軍の戦死者11名を合葬した時の建てられた「戦死人供養碑」があるのだ。

皇徳寺2

皇徳寺3

新選組隊士 菊地央の墓
皇徳寺5

菊地さんは中島登さんの戦友絵姿にも描かれている隊士。
元津軽藩士で慶應3年に入隊。
慶應4年閏4月25日の白河口の戦いで戦死。享年22歳。
墓の建立は明治2年で、墓碑に「新選組隊士」と刻むことが憚られたので、戒名にの字を入れて刻んだという。
戒名は「誠忠院義勇英劔居士」

この戒名を見たら、誠の一字、誠の旗のもとに戦った新選組隊士の誇りを感じて涙が出ました

戦死人供養碑
明治2年に地元の庄屋によって建立されたもの。
慶應4年の閏4月24日・5月1日の白河の激戦で戦死した列藩同盟軍11人を合葬した時に建てたそうだ。
皇徳寺4





次に向かったのが長寿院

ここには新政府軍の白河の戦いでの戦死者の墓碑群がある。

慶應4年5月1日の大激戦ではほとんどの寺の住職が避難したのだが、この長寿院の住職だけは踏みとどまり、新政府軍の戦死者を供養し続けたそうだ。
また、ここは新政府軍の野戦病院でもあったらしい。

長寿院2


この墓碑群には、長州、土佐、大垣、館林、佐土原、薩摩藩の戦死者の墓があったが、薩摩藩だけは別の墓地に改葬されて今はここにないとのこと。
長寿院3

なお、この墓碑の中には清原清さんの墓がある。
清原清は元新選組隊士で、御陵衛士として組をぬけたあとは、薩摩藩に属し武川直枝と名乗っていた。
なぜ彼に注目するかというと
局長が大久保大和と名乗って投降した際に、それが近藤勇だと見破った人だからなのだ!
この時、加納鷲雄とともにこの人物が近藤勇であると証言したのがこの清原さんなのだった。
その彼が、斉藤一を隊長として攻めてくる新選組と戦い、戦死。
斉藤さんも御陵衛士に加わっていたんだよなぁ、(スパイとしてだったが…)

敵味方もなく、国のために戦って命を落とした方々のご冥福を祈りたいです。

どうか安らかに…



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カテゴリ: ・新選組

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