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誠に生きる〈第三章〉  

副長を崇拝しHEDWIGを愛し山本耕史さんを応援する日記

故郷の中の戊辰戦争

戊辰戦争というと越後では長岡藩や村上藩がクローズアップされるが、実は、わが故郷新潟市でも激しい攻防があり、今でもその縁の地があるのだ。


新潟市での攻防は、ずばり、
新潟港の攻防だった

そう、新潟港は奥羽越列藩同盟の後方支援地であり唯一の武器補給港だったのだ。
同盟軍としてはここを守らなければ各地での戦いの武器補給が絶たれてしまうから、なんとしても死守しなければなだなかっただろうし、新政府軍としては新潟港をなんとしても落とさなければならなかっただろう。
重要な港だった新潟港
この攻防戦は慶応4年(1868年)の7月末。
米沢藩を中心として会津藩、仙台藩などの同盟連合軍が新政府軍と戦ったのだった。

うちの実家は、その同盟軍の拠点となったエドワード・スネル(スネル兄弟の弟)が滞在したお寺勝楽寺のすぐ近くにある。

※スネル兄弟は幕末に外交官として来日し、商会を作って主に越後や東北諸藩へ武器・軍艦を調達。
兄のヘンリー・スネルは会津藩の軍事顧問。

※勝楽寺に関しては第一章のこちら第三章のこちらに書いてあります。

勝楽寺

この本堂に会津や米沢、長岡、仙台のリーダーが集まったんだろうか~
しょうらくじほんどう

今回の帰省で発見!
なんと、今まではなかったのに、こんな碑があらたに建てられていた!!
イギリスjpg

スネルや同盟のこともしっかりと書かれていた!
碑文

いや~これ見てテンション上がったあああ~




そしてもうひとつ、テンションが上がったのは
勝楽寺から歩いて数分のところにあるこのお寺

泉性寺

せんしょうじ

最近読んだ文献で知ったのだが、慶応4年の新潟港攻防の際、同盟軍が新政府軍の攻撃に備えて砲台をいくつか設置したとのこと。
そのひとつは勝楽寺にあったが、この泉性寺にも砲台を設置していたとのこと。
(正確にはお寺の裏手に設置)

で、なんでそんなにテンションがあがったのかというと
この泉性寺って、ワタシの実家のお墓のある寺なのだ~~~
ご先祖様が眠っているお寺が、まさに同盟軍の砲台のあった寺だったとは!!!!

この本堂の裏あたりだろうか…

せんしょうじ本堂

今回、久しぶりにお墓参りをしたのだが、ご先祖さまに手を合わせながらも、思いは戊辰戦争へと飛び、テンション上がりまくってしまった(^_^;)


新潟港攻防戦については、もっともっと調べて、じっくり書いてみたいが…
最初はかなりの数の同盟軍が新潟市内にいたらしいが、各地へ援軍を出し続けて、新潟港の攻防戦が始まったときは残された少ない人数で新政府軍と戦ったそうだ。

この戦いで戦死した方々の慰霊碑と墓地が新潟市内の護国神社にあるとのこと。
同盟軍、新政府軍のどちらの戦死者の墓も同じ敷地内あって同じように弔ってあるそうだ。
護国神社のサイトにも載っていた!

ここはうちの実家からけっこう近い~~~
今回は行けなかったが、次に帰省した際にはぜひぜひ行ってみたい!
そして両軍兵士のお墓の前で手を合わせたい!!


故郷の中にある戊辰戦争
もっと詳しく知りたいなぁ…

しかし、父の具合が落ち着いたとたん、幕末関係の史跡をめぐってしまう、
そんな自分に自分でウケました(^_^;)

新潟港攻防戦のとき、副長は会津にいた。
怪我の療養も終わり、前線に復帰した頃だろうか…
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カテゴリ: ・新選組

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