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2011箱館の旅 (途中)

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誠に生きる〈第三章〉  

副長を崇拝しHEDWIGを愛し山本耕史さんを応援する日記

箱館の旅~街歩き 2(異国橋・武蔵野楼…)

丁サ跡から末広町駅に行き、市電でひと駅十字街駅で降りてすぐ、豊川町7に来た!

当時はこのあたりには水路があったため、橋がかかっていたそうだ。
ちょうどこの豊川町7付近に異国橋があったらしい。

豊川7

異国橋は、栄国橋とも永国橋とも言われていた。

栄国橋といえば、やはりワタシの中では『燃えよ剣』の副長最期の場面だ!!

「歳三はゆく。
ついに函館市街の栄国橋まできたとき、地蔵町の方から駆け足で駆けつけてきた増援の長州部隊が、この見なれぬ仏式軍服の将官を見とがめ、士官が進み出て、
「いずれへ参られる」
と、問うた。」
(『燃えよ剣』より)


ここから続く副長最期の場面を、何百回読んだことだろう。
何度読んでもそのカッコよさと切なさで震えるほど感動した。(今も…)
あまりに読み過ぎて、これが小説であることを忘れ、この栄国橋での最期が史実の副長の最期だと思いこんでいた時期もあったほどだった…



実際、5月11日の攻防は異国橋付近でも激しかっただろうなぁ。

副長は一本木関門で檄を飛ばし、函館市街地への進軍を進めていただろう。
そして、一時はこの異国橋あたりまで旧幕軍の最前線が達していたのかもしれない。
異国橋を越えたその先の先にには、弁天台場があるのだ…


近くにはこんな解説版もあった。

異国橋看板

この解説版には明治6頃の異国橋付近の写真が載っていた。
この写真を見れば、副長たちがいた頃の異国橋付近の様子がわかる。
dscn0266_20120122091849.jpg

dscn0266 (2)






当時、異国橋の近くには武蔵野楼があった。

三階建で空中庭園まであったそうだから、豪華で異国情緒漂う建物だったに違いない。
この辺いったいは水路があり、武蔵野楼に入るお客さんたちは小舟で乗りつけていたそうだ。

ちょうどこのガソリンスタンドのあたりが武蔵野楼跡地とのこと。

武蔵野楼跡



明治2年5月10日夜
武蔵野楼では旧幕軍による最後の宴が開かれていた。
別杯をかわしたという。
別杯…別れを惜しんで飲む酒
「別れ」とは、生きて会うのはこれが最後だという、覚悟の杯だったに違いない。

いったいどんな会話がかわされたんだろう
彼らはこの宴で、何を語り、何を託し、何を見て、何を聞いていたんだろうか…

・・・

・・・・・

・・・

明治2年5月11日未明 新政府軍の箱館総攻撃開始
そして運命の一日が始まったのだった…
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カテゴリ: ・新選組

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この記事に対するコメント

新発見!

唐突にここに出没して申し訳ございません(^^;)

 昨日の北海道新聞夕刊の一面に「明治期の函館全景写真」 ~撮影は箱館戦争時~ という記事が!
 
 函館中央図書館所蔵の写真をデジタル保存化していくうえで、これまで明治20年代撮影とされていたものが、「明治2年4~5月」の可能性が高いことが判明したそうです!
「蟠龍」「回天」「千代田形」の三隻が確認されたことも大きな決め手になったそうです。
焼失する直前の高龍寺本堂も確認できます。

この時期、船、それらの名前を聞くだけで胸が打ち震えました。きっとそこには彼らがいたから・・・・。

この写真は9月23日まで函館博物館で開催中の「写された幕末・明治の函館」で展示されているそうです。

実物を見にいきたい~


URL | あき #-
2012/08/24 09:09 * 編集 *
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