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2011箱館の旅 (途中)

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誠に生きる〈第三章〉  

副長を崇拝しHEDWIGを愛し山本耕史さんを応援する日記

箱館の旅~街歩き 1(屯所・沖の口番所・丁サ・)

海に近い弁天町・弥生町付近を歩いた…

この街歩きに役だったのが「函館まちあるきマップ」だった。

函館市の観光振興課が出している地図で、細かくエリア別に分かれていて、とても見やすい~
ワタシのような方向音痴でも、このマップがあればノープロブレム!!

マップ2


このマップの素晴らしいところは、
現在地と共にこんな風に戊辰戦争時の場所もちゃんと載っているところだ!!
map拡大図

函館は、明治から大正にかけて数十回も大火にあっていて、かなり町並みが激変している。
組ゆかりのお寺もほとんどが明治の大火の後移転してしまっているので、今あるお寺にも行き、さらに箱館戦争の頃あった当時の場所も訪ねたい!!
そんな時、ものすごく役だってくれるマップだ~

JR函館駅の観光案内所に置いてあって、好きな番号を自由に取ってきて持ち歩いた。
コンパクトで持ち歩きにも便利なマップ!
こちらのサイトからダウンロードして自宅でプリントアウトすることもできまする!!
副長関係なら、6、8、10、15、16あたりがオススメ)



当時は五稜郭付近は荒野が広がっていたそうで、町といえば海沿いのこのあたり

新選組といったら、やっぱ治安維持、市中取締りだぜ!

本格的に箱館市中取締りの隊務が始まったのは、選挙で副長が陸軍奉行並になり、裁判局頭取・箱館市中取締の責任者になってからだろう。
当時は弥生町にあった称名寺を屯所にして、いざ市中パトロールへ

当時の新選組屯所だった称名寺はこの辺りにあった。
弥生小学校付近 (弥生小学校の校舎は工事中のようだった)
dscn0261.jpg

この辺りが当時の寺町で、称名寺の他、実行寺乗玄寺など、旧幕軍と深いかかわりのあるお寺はここに並んでいたという。

今は解説版が設置されていて
「江戸時代から明治の初期まで、このあたりは浄玄寺(現真宗大谷派函館別院)、称名寺、実行寺が立ち並び、参拝客で賑わっていたので寺町と呼ばれた~中略~
明治12年の大火はこの一帯を焼き尽くし、これらの寺は新たな場所に再建された。
浄玄寺と称名寺の跡地には同15年に弥生小学校が建てられた」

と書いてあった。
dscn0263.jpg



むかえにある元町ホテルには副長のお写真があああ~
新選組屯所跡として写真付きの説明版があった!

dscn0260.jpg

ホテルのブログ記事には、大火前の明治8年の地図が載っている!!
なるほど、当時はこんな風に並んでいたのか…

dscn0262.jpg




この屯所からすぐのところにあったのが沖之口番所跡だ!!
ここは、新選組が警備をしていたのだ。

このすぐ後ろはもう海だったぁ~~

dscn0259.jpg

dscn0256_20120121165617.jpg

今は函館臨界研究所になっている!
そしてここの歴史をを読むとかなりツボってしまう!
一番最初は「沖之口番所」だった。
それが、
「沖之口役所」→「海官所」→「海関所」→「函館船改所」…
と、まあ、わずか数年の間に名前が変わりまくっている!

名称変更の嵐~~~

その後は警察署の仮庁舎になっているが、
またも
「函館水上警察署」→「函館警察署仲浜町分署」→「函館水上警察署」→「函館水上分署」→「函館水上警察署」
と、名前が微妙に変わりまくっていて(笑)、
最後に「函館西警察署」に落ち着いたぞと!!

で、今は函館臨界研究所かぁ~

なんだ、このめまぐるしい名称変更!!

「始めは壬生浪士組だった。
その後は誠忠浪士組になったり、壬生浪士組になったり
最後に新選組になった」
っていう山本副長の台詞を思い出してツボったあ(笑)

この年表で見ると、新選組が警備をしていた時は「沖之口役所」って名前だったみたいだが、地元の人は、前からの呼び方で沖之口番所って呼んでいたかもなぁ…



さて、屯所、番所とくれば、あとは丁サだぃ!!

現在の大町2丁目あたり…

dscn0265.jpg
もう少し引きで何枚も撮ったのだが、なぜか全部ブレていて、この1枚しかまともな写真がない~
副長の宿だったからって、テンションが上がり過ぎてブレたのか…

ここに当時は佐野専左衛門の店があり
屋号は「万屋(よろずや)」、店章は「丁サ」だった!

丁サは副長の宿として有名だ!!

この大町界隈は当時はもっとも賑わっていた繁華街で、
丁サからは、屯所にも近く、番所にも近く、弁天台場にもすぐ行ける!
略地図にするとこんな感じ
改訂版


中島登覚え書にも「大町「サ」シルシ」とある。
「同五月朔日五稜郭二帰陣、榎本松平両惣エ面会ノ上箱館弁天ノ台場二来リ一同二面会、夫ヨリ今夜当隊有川二進撃可致ノ令ヲ達、直様大町「サ」シルシ方エ休息。同四日五稜郭エ帰ル。」

二股口から帰った副長が五稜郭に寄った後、弁天台場の新選組に有川進撃命令を出して、そのまま4日まで丁サに滞在していると書かれている。
(もうこの頃は新選組の屯所は称名寺ではなく弁天台場に移っていた)


副長は、明治元年に箱館に来てから、たびたび丁サに泊っていたんだろうなぁ…
市中取締り責任者としては、五稜郭を出て箱館の市街地に滞在するのは当たり前だけど、やっぱこっちの方が居心地ヨカッタんじゃないかぁ~
だって、新選組の仲間たちがいるんだもんなぁ~
五稜郭にいれば、箱館政府の幹部としての土方歳三だけど、
ここにいれば、仲間の近くににいれば、新選組副長でいられたのでは…

そんな風に思ってしまうのだ!

屯所と丁サの近さを、実際に歩いてみて実感できたから、なおさら…

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カテゴリ: ・新選組

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