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誠に生きる〈第三章〉  

副長を崇拝しHEDWIGを愛し山本耕史さんを応援する日記

箱館の旅~実行寺

称名寺の並びにすぐあるのが
実行寺
(やはり明治12年の大火で焼失し、明治14年に現在の場所に移転)

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碧血碑の記事で書いたとおり、
当時のご住職が柳川熊吉さん共に旧幕軍兵士の埋葬に尽力して下さったのだ。

碧血碑に改葬されるまで、この実行寺には旧幕軍兵士たちが埋葬されていた。
実行寺の過去帳には
「此後ノ霊ハ明治二年ニ戦死セシ人ヲ此ニ記ス」
とあり、旧幕軍戦死者の名前がズラリと並んでいるのだ。


碧血碑に改葬されたので遺骨はないが、境内には今も7基の旧幕軍兵士の墓石が残されていた。

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その中には諏訪常吉さんの墓碑もあった。

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諏訪常吉さんは会津遊撃隊の隊長。
明治2年4月の矢不来の戦いで重傷を負い、箱館病院に入院していた。
5月12日の夜、箱館病院に新政府軍の使者数名が訪れて、諏訪さんを見舞い、和平交渉を依頼しに来た。
この使者の中のひとりが薩摩藩の池田次郎兵衛さんだった。

諏訪さんは、京都では会津藩公用方として容保さまを補佐していた関係で薩摩藩とも交流があった。
薩摩藩の池田次郎兵衛さんとは旧知の仲だったとか。

島田魁日記にも
「我病院ノ医高松凌雲執事小野権之丞竊ニ官軍ノ意ヲ受ケ、薩摩池田次郎兵衛、諏訪常吉 会津傷シテ病院ニ居ル二語ル所ヲ書シテ、病院ニ在ル者ヲ携炮台ニ来ラシテ且官軍ノ意ヲ伝云フ」
とある。
和平交渉を託された諏訪さんだったが、すでにこの時はかなりの重篤な状態で、口をきくこともできなかったという。高松凌雲先生や同じ会津出身で箱館病院の事務長だった小野権之丞さんに和平交渉を託して、その後亡くなっている。

新政府軍との和平交渉の始まりの中で、この方の存在は大きかったと思う。



実行寺にも副長の戒名が伝わっている。
「有統院鉄心日現居士」

称名寺の戒名「歳進院殿誠山義豊大居士」
浄玄寺内の能量寺の戒名「広長院釈義操」

と合わせて、副長には3つの戒名があることになる。

3つの戒名
しかも、同じ箱館の地に3つ…
副長を心から弔いたいという方々が、箱館のあちこちにいたんだなぁ
いかに慕われていたか…その方々の思いが伝わってくるようだ。


局長も戒名が複数ある。
「貫天院殿純忠誠義大居士」(純義誠忠も)
「勇生院顕光放運居士」
「心勝院大勇儀賢居士」



一字一字にこめられた思い…
賊名をきせられてはいても、志をきちんとわかっていてくれた方々がいたのだと思うと、胸が熱くなるのだ。


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カテゴリ: ・新選組

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