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2012.01.22 (Sun)

箱館の旅~高龍寺

称名寺を過ぎて角を曲がってすぐのところに高龍寺があった。
(やはり明治の大火によって焼失後に明治12年に現在の場所に移転)

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旧幕軍の病院は高松凌雲先生を院長とした箱館病院が本院だったが、そこが手狭になったので、高龍寺を箱館病院の分院として使い、傷ついた兵士たちを治療・入院していた。
箱館戦争も末期になると、激戦につぐ激戦で、重傷者も増えていったことだろう。

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高龍寺では、箱館戦争時に起きた、たいへん不幸な痛ましい事件が伝えられている。

明治2年5月11日
午前には箱館病院本院に新政府軍が乱入したが、高松凌雲が身を呈して新政府軍を説得し治療続行を許された。
しかし、午後からこの分院である高龍寺に入ってきた新政府軍は無抵抗の傷病兵たちを惨殺し放火、十数人が犠牲となったという。

一説には、新政府軍の姿を見た患者が発砲してしまい、それが引き金になってしまったとも言われている。

経緯はどうあれ、傷ついて動けない患者たちが無残な犠牲となってしまったことには変わりがない
戦時下とはいえ、あまりにも悲惨で痛ましい事件だ
無念の死を遂げた患者さんたちのことを思うと涙が出てしまう…


このとき犠牲となった多くは、会津遊撃隊の隊士たちだったという。
境内には、旧会津藩の方々によって建てられた碑があった。


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傷心惨目
なんと哀しい碑名だろう…

この碑に向かうと、心が痛くて痛くて、本当にいたたまれない気持ちになった

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碑の隣には福島県知事による献樹と会津若松市長による植樹の松が植えられていた。

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dscn0235.jpg


福島県北海道事務所のサイトには福島と函館の交流史が載っている。
その中では傷心惨目の碑についての説明があり
「函館福島県人会は毎年5月11日に碑前祭をひらき、亡き藩士の霊を慰めている」
とあった。


初めてこの碑を前にして手を合わせてみて、犠牲となった患者さん達のことを思い、また、この碑を建てた旧会津藩士の方々の気持ちを思うと、その痛ましさに胸が苦しかった…

どうか安らかにとただただ祈るのみだった。
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*Comment

★妄想大歓迎!

わぁー 引き込まれました。
せつなさとともにある旅の記なので
おもしろかった という表現が適切かどうかはわからないけど とても興味深く拝見しました。

今シリーズはちょっとミステリー
北の大地に謎がねむる
副長ファン探偵レク往くの記に感激です。
続きも楽しみにしています。

タイム |  2012.01.23(Mon) 17:16 |  URL |  【コメント編集】

★妄想だらけ

タイム殿

箱館レポを読んでいただきありがとうございます。
コメントしていただくと、さらに
「読んでくださってる方がいるんだぁ~」
と実感できて嬉しいですうう!

タイムラグがあって書いたら、ますます思い入れ過剰な記事になってます(笑)
でも、この続きは、しばらく書けそうにないかも…
弁天台場って、思うだけで胸が苦しくなるので。

去年から頭の中下書きはあるのですが、いざ書き始めると全然違う方向へいってしまうんですよね~
あははは~


レクイエム 0511 |  2012.01.26(Thu) 09:06 |  URL |  【コメント編集】

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