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副長を崇拝しHEDWIGを愛し山本耕史さんを応援する日記

箱館の旅~千代ヶ岡 1

千代ヶ岡陣屋というと、
「5月11日に副長がここから出陣した」
「中島三郎助父子が降伏を拒否して討ち死にした」
ということぐらいしか知らなかった。

そして中島三郎助さんのことも、歴史ヒストリアで観るまではほとんど名前しか知らなかった(^_^;)

そんな浅い知識しか持たずに、今回千代ヶ岡に行ったのだが、
実際に五稜郭から一本木関門跡まで歩いたことで、まずその地理的な視点での把握ができた!

この千代ヶ岡陣屋がいかに旧幕府軍にとって重要だったか
ここが最後の砦だったことがよくわかったのだ!!

五稜郭からまっすぐ一本木関門へ向かう道があり、千代ヶ岡はそのちょうど中間に位置していた。
(水色が五稜郭から一本木関門へ向かう旧道)
ちよがおか地図



5月11日の新政府軍総攻撃により、
弁天台場を残し、一本木関門までの箱館の町を縦断され、
七重浜を取られ、
そしてついに一本木関門が落され・・・
孤立した弁天台場を除けば、旧幕軍側には、もはや千代ヶ岡から五稜郭までしか残っていなかった。
千代ヶ岡陣屋は、五稜郭を守る最終防衛ラインのようなものだ。
だから、千代ヶ岡陣屋を落されては、もう、五稜郭を守る術がないのだ。

逆に、新政府軍の側から見ると、五稜郭へ攻める場合、進軍する際にそこに唯一立ちふさがるのがこの千代ヶ岡陣屋なのだ。
つまりは、この千代ヶ岡さえ落せば、もう五稜郭は半分手に入ったも同然なのだった。

それが千代ヶ岡陣屋
まさに最後の砦だなぁ…


千代台公園の脇にプレートがあった
千代が岡


千代が岡


この辺は上り坂になっていた。
やはり台場があったがゆえの地形かな…
東西約130m、南北約150mの土塁を築き陣屋を置いたとのこと
このあたり一帯がそうだったらしい。
(このすぐ先の右に中島小学校がある)
千代が岡

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カテゴリ: ・新選組

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