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副長を崇拝しHEDWIGを愛し山本耕史さんを応援する日記

箱館の旅~一本木関門への道 3

五稜郭から一本木関門へと続くまっすぐな道

これは幕末の頃に使われていた旧道そのものなのだ。

mitiipponn.jpg

この旧道は、松川街道と呼ばれていたそうだ。
拙宅のここでコメント欄からあき殿に教えていただきました。
あき殿、貴重な情報ありがとうございました\(^o^)/
この旧道が五稜郭へ向けてまっすぐになっているはずだ!
だってこの道は、もともと五稜郭建設用の資材の運搬等のために作られた道だったのだ
そして、その道を作ったのが、松川弁之助という人物だった。
なんと越後出身の方だった
松川弁之助について、函館図書館サイトの中の「函館人物史」に詳しく載っている。
「さらに五稜郭の工事の際、物資を運搬する道路を自費で完成させた。
 人々はこの道路を”松川街道”と呼び今日、松川町の町名として残っている。」



現在この旧道は、五稜郭から高砂通りになり、
途中で細い道になったり大通りになったりしながら、
最後は細い道になって、前の記事に書いた海岸町1の一本木関門跡へと至る。

そんな旧道を五稜郭から一本木関門まで歩くことにした。
歩いて、その距離感や、目に入る風景を実感してみたかったのだ。

地図にマーカーを引いたところが、旧道。
この地図を手に、一本木関門跡を目指した

DSC_03915555.jpg



まさに、この旧道は、5月11日に副長が駆けた道
一本木関門へと続く道

最後に副長が目指したもの、
目にしていたものはなんだったのか…

それを少しでも感じてみたいと思い、友と2人で五稜郭を出発した!

タワー0


五稜郭タワーを背後にして進む
一本木・道


箱館山が見える
一本木・道


箱館山が見える
っていうより、当時はビルもなく、人家もまばらで、さえぎるものがなかったはず…
箱館山しか目に入らない
一本木・道





五稜郭を出て20分足らずで千代ヶ岡台場跡に着いた。

千代ヶ岡台場跡は、五稜郭と一本木関門跡のちょうど中間地点にあり、
dscn014011.jpg

通りを隔ててすぐに中島三郎助最期の地碑がある
dscn013711.jpg
(千代ヶ岡に関しては別記事で書く予定です)


5月11日の朝、弁天台場から駆けつけた大野右仲さんは、千代ヶ岡陣屋で額兵隊二小隊と共に出撃しようとしていた副長に出会い、一緒に一本木関門へ向かったと『箱館戦記』に書いている。

そう、ここから一本木関門へ向かって出撃したのだ!!
めぜすは弁天台場だった…



ワタシも友と2人で千代ヶ岡から出陣!!
また旧道を歩き始めた!!

ひたすら見えるのは箱館山だ!!


少し歩くと、亀田川にかかる橋が見えてきた

一本木・道

この橋を渡ると大きい2つの通りに挟まれた細い道がある
地図で見ると、高砂通りと松代通りの間に細い道があるのだが、それが旧道なのだ!

旧道をひたすら歩く…

途中でまた少し大きい道路になったかと思うまもなく、また大きな交差点になった!
ここはちょっと複雑な交差点で、
一見すると、
「海岸町へ向かう大きな道路」
「八幡通り」、
「新川広路」
の三本の大きな道路に別れている三叉路に見えたのだが、よく地図と照らし合わせてみるともう1本細い道があるのだ!!

海岸町へ向かう道路と八幡通りの間に挟まれた細い路地、
それが旧道の続きだった!!

ここまで来ると、もう一本木関門まですぐだ!!

箱館山との距離感がどんどん縮まって、山が大きく見えてきた!
一本木・道

後ろを振り返ると遠くに五稜郭タワーが見えた
一本木・道


そしてついに、国道5号線が見えてきた時には、箱館山はかなりの大きさになっていた!!

一本木・道

そして、一本木関門跡に至った。

今は、いざ一本木関門跡にたどり着くと、ずっとそれまで見えていた函館山が建物の陰で見えなくなるのだが、当時はさえぎるものなど何もなかったはず…
箱館山が大きく見えていたに違いない!!


実際に旧道を歩いてみて思った。
とにかく、箱館山なのだ…と。

副長が最期に見ていたものは、箱館山だったのではないか…

彼が馬で駆けていた時、まっすぐ目指した一本木関門への道でずっと見えているのは箱館山…

そして、戦闘に向かう軍人としては、感傷的な思いなどめぐらすことなく
いかにして敵を倒すか
いかにして味方を救うか

弁天台場の仲間たちのもとへ向かおうとして、
そのためには目の前のの敵をただひたすら倒していく

死を覚悟しているのは、どんな戦いにおいてもそうだったと思う。

だから、特別に5月11日に死に向かっていたのではなく、最期まで、ひたすら敵を倒して勝つことに貪欲だったのでは…
軍人として、いや、侍として、「戦に勝つこと」に全身全霊を向けていて、そのほかの思いはなかったというより、そんな思いを巡らせていては勝てないと思う…

今、目の前で戦っている敵に勝つこと

それのみだった気がした。

銃弾が副長を貫くまでは。

勝つために戦い、、そしてここで敵を押し戻して進撃して
弁天台場の仲間たちのもとへ駆けつけるために…戦い続ける

すべての状況が劣勢になっていても、目の前の戦いに勝つことに魂を燃やし続けていた、そんな気がした。

ワタシの勝手な想像にすぎないが…

五稜郭から一本木関門跡まで小一時間かけて旧道を歩いてみて、
箱館山がいつも目の前にあり、
それがどんどん近づいてくる光景を実感して、
その思いが強くなった。


副長があの日駆け抜けた、1本のまっすぐな道…



本当に貴重な体験だった。


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カテゴリ: ・新選組

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この記事に対するコメント

ただひたすら

レクさま

「箱館への旅」、かみしめるように読ませていただいております。
(寝る前に読んでしまったので、レクさまの副長への想いにこちらまで胸が熱くなり眠れなくなってしまいました・・・)

私ごときにまでお気遣いいただき、恐縮です。
五稜郭から一本木関門への「まっすぐな道」、私もレクさまと共に勝手に歩かせていただきました。ありがとうございました。
弁天台場の仲間を救うべく、ただひたすら目の前の敵を倒すことだけを考え、駆け抜けたであろう副長。その「まっすぐな思い」と「「まっすぐな道」
せつなさで胸が苦しくなります。
いつか私も、自分の足で歩いてみたいです。

レクさまご紹介の「五稜郭歴史回廊ガイド」にも「松川街道」載っていましたね。私もすぐに取り寄せました。(「激闘~も」)
今にその歴史の面影を残している「まっすぐな道 松川街道」
残っていてくれてありがとうです。
URL | あき #-
2011/10/24 13:14 * 編集 *

拙い記事ですが…

あき殿

こんな長い、そしてウザくて熱い記事を読んでいただいて、感謝です!
まだまだこれからも続きます(あはは)

ただひたすら、あの時自分がどう思ってどう感じたか~ということを延々と書き連ねているものなので、レポでもなければ史跡めぐりでもなく、ちゃんとした説明とか道案内にもならないのですが、その地に立ってこそ感じることができる思いを書いています。
本当に思いきって行って良かったと思います。
自分が何となくしか思い描けなかったものが、かなり鮮明になった気がしました。
URL | レクイエム 0511 #7iQfpXP.
2011/10/26 08:15 * 編集 *
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