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箱館の旅~五稜郭 3

五稜郭には函館滞在中に3度足を運んだ。

その3度で、とにかく歩いたり、ただ佇んだり…
何をどうって言うことは説明できないんだが、
とにかく五稜郭の中にいて、息して、歩いて、見上げて、
見つめて、歩いて、立って、踏みしめて、
また歩いて、眺めて、立ちつくして…
何かに取りつかれたように、ただただそれを繰り返していたのだった。

そんな中、見つけた弾薬庫跡

箱館戦争時に旧幕府軍によってつくられたもので五稜郭内には6カ所あるとのことだった。

五稜郭

弾薬庫

ここは、いや、ここも、戊辰戦争の生々しさを感じた場所だった

五稜郭

五稜郭




五稜郭の裏門にも行ってみた!

五稜郭

1868年10月26日 大鳥圭介の一行は裏門から入城したそうだ。

裏門橋からの眺め

五稜郭



あとは、ひたすら歩き、立った!!

五稜郭の先端部分にも行ってみた。

五稜郭

五稜郭の堤の上を歩くとやはり思い出してしまった…
大野右仲さんがひとり五稜郭に戻って涙している、あの一節を

「吾れ夜堤上を歩きて見るに、月は欠けて天に在り、曠野渺漫たり。
砲台は湾を隔てて雲煙の中に髣髴たり。
独り兄事する所の奉行の死を嘆き、同胞の如く交わりたる者は皆彼に在りて、
吾れのみ敵陣の遮る所と為りて至るを得ず
涙を垂れて、楚の項羽の「時利あらず、騅行かず」の句を吟ず」
(『函館戦記』より)


こうして書き出しているだけで、涙腺にきてしまう…

副長の死を嘆き、弁天台場に残された仲間を思って嘆き
自分だけがどうすることもできずに五稜郭にいることを嘆き…
そして「涙を垂れて」とも書いてある。
夜、ひとり、涙を流しながら五稜郭の堤を歩く大野さん

会津の清水屋で会って以来、蝦夷ではかなり副長と近いところにいて常に補佐してきた人であり、共に激戦を戦い抜いたひとりであり、そして、最期の副長の言葉を聞いたでひとりでもある…
副長戦死の後の夜、こうしてひとり五稜郭の堤を歩きながら涙していたんだなぁ


そんなことも考えながら、ひたすら歩いて立ち止まっていた

五稜郭


そしていよいよ五稜郭に別れを告げるという時
ふと佇んで五稜郭からの景色をを見てみた

五稜郭…
ここには、彼らの確かな存在がある!あり過ぎる!!

この時思い浮かんだのは、土方資料館に展示されている安富才輔さんの手紙だった。
副長の戦死を知らせるその内容もさることながら
手紙の最後に
5月16日認 箱館五稜郭内 安富才輔
とあるのだ。
降伏目前の五稜郭の中でこの手紙は書かれた
というこの事実!
当たり前のようだが、この確実性、事実の重み、
私にとっては、それが五稜郭の存在意義なのだと思う。
だから、五稜郭の中に入り、中を歩き、立ち、眺めるということが私には大きいことなんだなぁ。

五稜郭


副長が入城したのは真冬だったから、吹雪の日々だったろう…

でも、春になり雪解けになり、まだ平時だった時に、
こうして堤上に立って空や山を眺める瞬間があったかもしれない
ここに立ってこの風景を見ていたかもしれない

いくら町並みは変わっていても、山は変わらないはずだ。
そしてこの高さも、この場所も、

確かに彼は、この五稜郭のどこかに立っていたのだ
同じ地に立ったのだ、確かに…
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