10«1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.»12

MEMPHIS CD

New Entries

MAGNUM1031

メンフィス

マハゴニー市の興亡

HEDWIG

Lost Memory Theatre

薄桜記

ドキリ★ソング by 信玄・謙信

竹中半兵衛

死刑基準

くろねこルーシー

Woyzeck

JAM

Links

RSS Field

SOZAI

All Entries

QR code

Search

Powered by FC2blog

副長を崇拝しHEDWIGを愛し山本耕史さんを応援する日記

箱館の旅~松前の旅 1

松前へのひとり旅
この旅のキーワードは「辿たどる」

松前城下だけが目的地ではない。
副長が進軍していった道をたどり、その距離感、風景、空気を感じながら自分も進軍していきたかった。

そして松前城下めぐり

函館市内と共にどうしても行ってみたかった場所、それが松前なのだ。
蝦夷地での最初の“軍師 土方歳三”の戦いぶりを知ることができる場所。


【JR函館駅からスーパー白鳥に乗って木古内駅へ行き、
そこから路線バスに乗り換えて松城前で下車】

↓自分用に作って持ち歩いていたスケジュール表
松前スケpg

函館駅を出発して、 松山街道をひた走る旅、

七重浜を通り、矢不来、茂辺地といった地名を通るたびにテンションが上がる

列車は、土方隊が松前攻撃のために進軍した道をたどるように走る!!
七重浜→有川→富川→矢不来→茂辺地→木古内 というルートだ!!

『中島登覚え書』に
「十月廿八日土方公等七百余ノ兵ヲ引テ松前方面エ向フ。
 有川村ニ一泊ス。同廿九日同所出立茂辺地ニ一泊、同所出立木古内ニ宿陣。」

とあって、
五稜郭を出て、有川~(富川)~(矢不来)~茂辺地~木古内へと進軍していったことがわかる。

行きの電車は、まさに松前への進軍電車!!


でも、

帰りの電車はこの逆ルートを行くわけで、新政府軍の進軍によって旧幕府軍が撤退していったルートとそのまま重なるんだよなぁ

富川は、新政府軍が本陣を構えたところ

そして、

矢不来(やふらい)は、旧幕府軍と新政府軍との激戦「矢不来の戦い」の戦地だったところだ。
1869年4月29日に矢不来では、新政府軍を相手に大鳥さんも馬上で奮戦していたが、大軍相手でしかも海からの艦砲射撃が激しく、旧幕府側は敗走。
指揮をとっていた額兵隊隊長の星恂太郎さんは、敗走の中で自刃を覚悟。
しかし味方に励まされて富川まで撤退したといわれている。
やはり軍艦砲撃の威力はすさまじいなぁ…

茂辺地は、その矢不来の戦いがあった時に前線が置かれた場所だ。

浅い知識ではあるが、今まで本や資料で地名だけを読んでいたところを実際に今自分が通っていると思うと、それだけで胸がいっぱいになった…
ひとり、電車の中で、窓にヤモリのように張り付きっぱなしで、
ひたすら窓の外を食いいるように見ているオバサンだった(^_^;)


富川を過ぎたあたりで、電車の窓から見る函館山
いつも函館市内から見る角度よりかなり裏手から見た函館山だ!
新政府軍が登ってきたのはこんなところからだろうか!?
松前



木古内駅に着き、電車からバスに乗り換えて、
ここからは1時間半の路線バスの旅
松前

松前

今回は乗り換えのため数分しかいられなかったが、いつか木古内の戦場跡もめぐってみたいなぁ…
木古内の戦いもまた、大激戦地であった戦場。
明治2年4月12~13日の第一次木古内戦、4月20日の第二次木古内戦と2度に渡っての激戦地。
大鳥さんが軍を率いて奮戦。
第一次では新政府軍を撃退しているのだが、なんせ第二次戦は敵は兵力を増強させて来たし、海からの艦砲射撃も激しく…
軍艦の攻撃力はとにかく凄いのだ…
そして、新政府軍の兵力は無尽蔵だもんなぁ…
副長の「我兵に限り有り、官軍に限り無し」という言葉を思い出す。

伊庭八郎さんが重傷を負ったのもここだった。

この木古内戦(4/12~13、4/20)、矢不来戦(4/29)
の敗走を受けて、副長に二股口からの退却命令が下ったのだった。



路線バスから見る風景もまた印象的だった…

特急、バスと乗り継いできてここまではずっと海岸沿いを走っていたので、目に映る風景は海だったのだが、知内(しりうち)という地名を過ぎたあたりから風景は一変!!
山また山の田園風景に変わったのだ。

松前

これは松山街道が途中の知内あたりで山越えの道に変わるからだ。
それまでは海岸線に沿って道は続いていたのだが、一気に山の方へと入って行くのだ。
松前

ワタシが電車やバスの中から初秋のポカポカ陽気の中で見る風景とは違って、松前進軍当時は真冬。
初めて体験する蝦夷地の冬。極寒の中の進軍。
海沿いの街道を行く時は、海は荒れていただろうし、吹雪だったかもしれない
そして山道はさらに険しく、凍えながらの峠越え進軍。
副長はみんなに檄を飛ばしながら進んで行ったんだろうか!?
先陣隊や後方隊を含めて700人以上の大軍を率いていたのだから、
隊長というより総督だよなぁ…

1868年10月26日に五稜郭入城して、その2日後の28日にはもう松前目指して出陣している副長!
蝦夷地制平定のためには、まさに不眠不休の強行軍だった。


この知内は、松前藩領の入り口ともいえる場所だったらしい。
11月1日に、小舟に乗って密かに海側から回ってきた松前兵が土方隊に夜襲をかけたのが、知内なのだ。

『中島登覚え書』に
「霜月朔日知内村に宿陣ス。
此夜半頃敵兵不意ニ夜打ヲ仕掛ケ候処、敵兵敗テ逃去。」

と書かれている。

松前

松前


ひたすら田園風景の中をバスは走って行った



そして

ずっと山道が続いていたが、福島 という地名を過ぎた途端、突然また目の前が開けて、海がいっぱいに広がった!!

松前

いくつかの戦いを経ながら福島に達した土方隊。
福島の法界寺というお寺には松前兵の本陣があったとされている。

福島」という地名を聞いて、会津藩士たちは故郷を思い出したんじゃないかなぁ

松前


ここから松前に向けて出陣したのが11月4日

いよいよ松前に着陣だぁ~~~

松前②へ続く
スポンサーサイト

カテゴリ: ・新選組

tb: 0 |  cm: 0
go page top

この記事に対するコメント

go page top

コメントの投稿

Secret

go page top

トラックバック

トラックバックURL
→http://yamamotohijikata.blog48.fc2.com/tb.php/1066-426b2c75
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
go page top