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誠に生きる〈第三章〉  

副長を崇拝しHEDWIGを愛し山本耕史さんを応援する日記

何ができるか

あの震災から2年

今日は祈りの日でもあり、あらためて自分に何ができるかを考える日でもある。

震災のあとすぐ4月に会津へ行き、11月には宮古へ旅した。

そして、

微力ながら、地元多摩のチャリティイベントには、なにをおいても参加してきた…

宮古でもらったステッカーは今も車に貼ってある

2013-03-11_14-45-35_849-1.jpg

このステッカーを見た後続車や駐車場の人たちが、
何かを思ってくれるに違いない!と。



ワタシが4歳の時、新潟地震が起きて被災した。
ライフラインも止まり、津波・液状化による被害も大きく
石油コンビナート火災も発生
大きな橋も落ちた。

あの当時の記憶は半世紀経っても消えない…
時系列ははっきりしていないが、断片的に鮮明な記憶があるのだ。

父は役所勤め、母は教師だったので両親は帰宅できず、祖母と2人で避難したこと。
祖母と避難して、どこかの広場でござの上で寝たこと

石油タンクが2週間近くも燃え続け、何日も空が黒く覆われていたこと

ガスも水道も電気も止まり、ろうそくで過ごしたこと

自宅は幸い高台にあったので浸水しなかったが
何日間も家の前の道路が水没して川のようだったこと

教師だった母は校舎に残った生徒と一夜を過ごし、保護者に全員を引き渡すまで帰宅できなかった。
その母が、腰まで水に浸かりながら自宅に帰ってきたこと
そしてワタシの無事な顔を見るなり号泣したこと。

毎日、給水と配給の列に祖母と並んだこと

4歳だったので当時は全然事情がわかっていなかったが、
全国のみなさんから寄せられた寄付や食料だったんだろうなぁ…
きっと全国のみなさんに助けてもらい、生活できていたんだと思う。
資料などを読むと、他県から駆けつけた消防庁や自衛隊の方々の献身的な救援活動があったとのことだ。



今、何ができるか…

いつも忘れないこと
自分に今何が出来るかを考えていくこと
自分にできることを無理せずに続けていくこと

とにかく続けてくことが大事だと思う


犠牲となった方々のご冥福を心からお祈りします。
そして被災された方々が少しでも早く元気になられることを心から祈っています。




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