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誠に生きる〈第三章〉  

副長を崇拝しHEDWIGを愛し山本耕史さんを応援する日記

安兵衛さん in 越後新発田

薄桜記のスタッフブログを見て驚いたああ

安兵衛さんが越後へ行っていたなんて…

堀部安兵衛の故郷新発田のお祭りに特別ゲストとして招待されて、パレードに出られていたとは…

その様子や地元の方々との交流の記事が長徳寺のブログに載っていました!
(長徳寺は安兵衛の生家である中山家の菩提寺)

こちらこちらの記事

新聞にも載ったのかぁ…
これは新潟日報だろうか!?


そして長徳寺には薄桜記のポスターが\(^o^)/

パレードの車に掛かっている「BSプレミアム薄桜記」ってのが手作りな感じでいい味出してますな
(^O^)

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カテゴリ: 薄桜記

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薄桜記第8話を見た!観た!視た!

越後から帰還後
薄桜記第8話を観て見て観て視て観て見て
見まくっておりまする!!!!!

と、感想を書こうにも、もう明日は薄曜日じゃあああ

ああ、もうつらすぎて気持ちに余裕ないよぉ~(ToT)

第8話までは、まだ余裕があった
だってまだ3話分のオンエアが残っているから…

でも

でも

明日第9話がオンエアされてしまうと
あと2話しかないってことになるううう

あと3つある

あと2つある
じゃ大違いなのじゃ~

あと3つ残っていると、まだなんか余裕が持てるんだが
あと2つともなると
「2つしかない」
という切羽詰った気持ちになって
なんか追いつめられてきたよおお~


そんこんなで
第8話の感想を言うと

観た
溶けた
溺れた
泣けた
唸った


そして

パニくった!!




ラストのテンゼン

なんだなんだあの深い表情は~

ただ「美しい」ってんじゃない!
心の奥底から滲み出るような凛とした輝き、
それゆえに放つ生き方そのものの美しさ

そこに宿る儚さ、そして切なさ

単純ではない、幾重にも重なった複雑な感情が放つ乱反射、
見ていて悲しくなるほど深い思いの伝わる顔であった…

ああ、あんなもの見せられた日にゃ、もうどうしていいかわかんないっす!
見た瞬間に頭が溶けたもんね(^_^;)

胸が張り裂けそうだった…



素振りのテンゼン
おみ足にも萌えたが、
「いざというとき助っ人が間に合いませんぜ」
という言葉を聞いたときの厳しい表情がもうあまりに趣味で溶けたぁ~
あの厳しい表情に汗がわずかに滲んで光っていた~

色っぽくてかっこよくて死にそうじゃあああ~~~
あの顔に弱いのじゃ~~~
溺れてしうまうのじゃ~~~



そして道場での安兵衛に泣かされた~
殿のご無念を語る安兵衛、頬に伝わる涙…
安兵衛の気持ちを受け止め、言葉少なくも武士同士の熱い思い…

名場面だっなぁ


テンゼンと叔父上とのやりとりも好きだ!
叔父上の前に出ると、昔の若殿だった頃に戻っているテンゼン
なりは浪人でも、旗本の御曹司だったなぁ…




そして唸った

「乱心」と「遺恨」

このキーワードの使い方の上手さよ!!
ジェームズ脚本の上手さにただただ唸りました…


駆け足感想になってしまったが、
こんな風に第8話は、見どころ満載過ぎて、もう~
何度も何度も見てはまた萌え、見てはまた胸が締め付けられて
こんなにハマれるドラマは本当に貴重だ!!



で、

もひとつ

話の筋とは全然関係なく
テンゼンとは全然関係ないのだが(^_^;)

テンゼンが上杉家へ向かって歩く姿
あそこだけは別次元で悶えてしまうううう

あのポニテで本羽織を着て歩く姿は、まさに副長そのもの
初めて見たときあまりにあまりでパニクりまくってしまった…
あそこの数秒間だけは、別次元に頭がトリップしてしまうのでござる(^_^;)



あ~~~
それにしても、広沢さまは公家姿も似合うし武士も似合うなぁ…
広沢様が出てくると、なんかものすごく安定感が漂う
あの安定感は絶対的でゆるぎない!

そして
吉良さまのご家来衆の中のひとり、左右田孫兵衛さんを見て
「この方どっかでお見かけしたなぁ~」
と思った瞬間に雅様の顔が浮かんだのだ!!
なぜに雅さま…!?
ああ!そうだった
この左右田孫兵衛役の山本龍二さんは『彼岸島』の五十嵐じゃないか~

テンゼン、いや、雅様に
「早くワタシを完全にしろ」
って怒られて首根っこつかまれて放り投げられていた五十嵐だ~

雅様と五十嵐が、今はテンゼンと吉良家の家来
なんかウケタ~~\(^o^)/

カテゴリ: 薄桜記

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故郷の中の戊辰戦争

戊辰戦争というと越後では長岡藩や村上藩がクローズアップされるが、実は、わが故郷新潟市でも激しい攻防があり、今でもその縁の地があるのだ。


新潟市での攻防は、ずばり、
新潟港の攻防だった

そう、新潟港は奥羽越列藩同盟の後方支援地であり唯一の武器補給港だったのだ。
同盟軍としてはここを守らなければ各地での戦いの武器補給が絶たれてしまうから、なんとしても死守しなければなだなかっただろうし、新政府軍としては新潟港をなんとしても落とさなければならなかっただろう。
重要な港だった新潟港
この攻防戦は慶応4年(1868年)の7月末。
米沢藩を中心として会津藩、仙台藩などの同盟連合軍が新政府軍と戦ったのだった。

うちの実家は、その同盟軍の拠点となったエドワード・スネル(スネル兄弟の弟)が滞在したお寺勝楽寺のすぐ近くにある。

※スネル兄弟は幕末に外交官として来日し、商会を作って主に越後や東北諸藩へ武器・軍艦を調達。
兄のヘンリー・スネルは会津藩の軍事顧問。

※勝楽寺に関しては第一章のこちら第三章のこちらに書いてあります。

勝楽寺

この本堂に会津や米沢、長岡、仙台のリーダーが集まったんだろうか~
しょうらくじほんどう

今回の帰省で発見!
なんと、今まではなかったのに、こんな碑があらたに建てられていた!!
イギリスjpg

スネルや同盟のこともしっかりと書かれていた!
碑文

いや~これ見てテンション上がったあああ~




そしてもうひとつ、テンションが上がったのは
勝楽寺から歩いて数分のところにあるこのお寺

泉性寺

せんしょうじ

最近読んだ文献で知ったのだが、慶応4年の新潟港攻防の際、同盟軍が新政府軍の攻撃に備えて砲台をいくつか設置したとのこと。
そのひとつは勝楽寺にあったが、この泉性寺にも砲台を設置していたとのこと。
(正確にはお寺の裏手に設置)

で、なんでそんなにテンションがあがったのかというと
この泉性寺って、ワタシの実家のお墓のある寺なのだ~~~
ご先祖様が眠っているお寺が、まさに同盟軍の砲台のあった寺だったとは!!!!

この本堂の裏あたりだろうか…

せんしょうじ本堂

今回、久しぶりにお墓参りをしたのだが、ご先祖さまに手を合わせながらも、思いは戊辰戦争へと飛び、テンション上がりまくってしまった(^_^;)


新潟港攻防戦については、もっともっと調べて、じっくり書いてみたいが…
最初はかなりの数の同盟軍が新潟市内にいたらしいが、各地へ援軍を出し続けて、新潟港の攻防戦が始まったときは残された少ない人数で新政府軍と戦ったそうだ。

この戦いで戦死した方々の慰霊碑と墓地が新潟市内の護国神社にあるとのこと。
同盟軍、新政府軍のどちらの戦死者の墓も同じ敷地内あって同じように弔ってあるそうだ。
護国神社のサイトにも載っていた!

ここはうちの実家からけっこう近い~~~
今回は行けなかったが、次に帰省した際にはぜひぜひ行ってみたい!
そして両軍兵士のお墓の前で手を合わせたい!!


故郷の中にある戊辰戦争
もっと詳しく知りたいなぁ…

しかし、父の具合が落ち着いたとたん、幕末関係の史跡をめぐってしまう、
そんな自分に自分でウケました(^_^;)

新潟港攻防戦のとき、副長は会津にいた。
怪我の療養も終わり、前線に復帰した頃だろうか…

カテゴリ: ・新選組

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