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誠に生きる 第二章

2011箱館の旅 (途中)

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誠に生きる〈第三章〉  

副長を崇拝しHEDWIGを愛し山本耕史さんを応援する日記

箱館の旅~一本木関門への道 3

五稜郭から一本木関門へと続くまっすぐな道

これは幕末の頃に使われていた旧道そのものなのだ。

mitiipponn.jpg

この旧道は、松川街道と呼ばれていたそうだ。
拙宅のここでコメント欄からあき殿に教えていただきました。
あき殿、貴重な情報ありがとうございました\(^o^)/
この旧道が五稜郭へ向けてまっすぐになっているはずだ!
だってこの道は、もともと五稜郭建設用の資材の運搬等のために作られた道だったのだ
そして、その道を作ったのが、松川弁之助という人物だった。
なんと越後出身の方だった
松川弁之助について、函館図書館サイトの中の「函館人物史」に詳しく載っている。
「さらに五稜郭の工事の際、物資を運搬する道路を自費で完成させた。
 人々はこの道路を”松川街道”と呼び今日、松川町の町名として残っている。」



現在この旧道は、五稜郭から高砂通りになり、
途中で細い道になったり大通りになったりしながら、
最後は細い道になって、前の記事に書いた海岸町1の一本木関門跡へと至る。

そんな旧道を五稜郭から一本木関門まで歩くことにした。
歩いて、その距離感や、目に入る風景を実感してみたかったのだ。

地図にマーカーを引いたところが、旧道。
この地図を手に、一本木関門跡を目指した

DSC_03915555.jpg



まさに、この旧道は、5月11日に副長が駆けた道
一本木関門へと続く道

最後に副長が目指したもの、
目にしていたものはなんだったのか…

それを少しでも感じてみたいと思い、友と2人で五稜郭を出発した!

タワー0


五稜郭タワーを背後にして進む
一本木・道


箱館山が見える
一本木・道


箱館山が見える
っていうより、当時はビルもなく、人家もまばらで、さえぎるものがなかったはず…
箱館山しか目に入らない
一本木・道





五稜郭を出て20分足らずで千代ヶ岡台場跡に着いた。

千代ヶ岡台場跡は、五稜郭と一本木関門跡のちょうど中間地点にあり、
dscn014011.jpg

通りを隔ててすぐに中島三郎助最期の地碑がある
dscn013711.jpg
(千代ヶ岡に関しては別記事で書く予定です)


5月11日の朝、弁天台場から駆けつけた大野右仲さんは、千代ヶ岡陣屋で額兵隊二小隊と共に出撃しようとしていた副長に出会い、一緒に一本木関門へ向かったと『箱館戦記』に書いている。

そう、ここから一本木関門へ向かって出撃したのだ!!
めぜすは弁天台場だった…



ワタシも友と2人で千代ヶ岡から出陣!!
また旧道を歩き始めた!!

ひたすら見えるのは箱館山だ!!


少し歩くと、亀田川にかかる橋が見えてきた

一本木・道

この橋を渡ると大きい2つの通りに挟まれた細い道がある
地図で見ると、高砂通りと松代通りの間に細い道があるのだが、それが旧道なのだ!

旧道をひたすら歩く…

途中でまた少し大きい道路になったかと思うまもなく、また大きな交差点になった!
ここはちょっと複雑な交差点で、
一見すると、
「海岸町へ向かう大きな道路」
「八幡通り」、
「新川広路」
の三本の大きな道路に別れている三叉路に見えたのだが、よく地図と照らし合わせてみるともう1本細い道があるのだ!!

海岸町へ向かう道路と八幡通りの間に挟まれた細い路地、
それが旧道の続きだった!!

ここまで来ると、もう一本木関門まですぐだ!!

箱館山との距離感がどんどん縮まって、山が大きく見えてきた!
一本木・道

後ろを振り返ると遠くに五稜郭タワーが見えた
一本木・道


そしてついに、国道5号線が見えてきた時には、箱館山はかなりの大きさになっていた!!

一本木・道

そして、一本木関門跡に至った。

今は、いざ一本木関門跡にたどり着くと、ずっとそれまで見えていた函館山が建物の陰で見えなくなるのだが、当時はさえぎるものなど何もなかったはず…
箱館山が大きく見えていたに違いない!!


実際に旧道を歩いてみて思った。
とにかく、箱館山なのだ…と。

副長が最期に見ていたものは、箱館山だったのではないか…

彼が馬で駆けていた時、まっすぐ目指した一本木関門への道でずっと見えているのは箱館山…

そして、戦闘に向かう軍人としては、感傷的な思いなどめぐらすことなく
いかにして敵を倒すか
いかにして味方を救うか

弁天台場の仲間たちのもとへ向かおうとして、
そのためには目の前のの敵をただひたすら倒していく

死を覚悟しているのは、どんな戦いにおいてもそうだったと思う。

だから、特別に5月11日に死に向かっていたのではなく、最期まで、ひたすら敵を倒して勝つことに貪欲だったのでは…
軍人として、いや、侍として、「戦に勝つこと」に全身全霊を向けていて、そのほかの思いはなかったというより、そんな思いを巡らせていては勝てないと思う…

今、目の前で戦っている敵に勝つこと

それのみだった気がした。

銃弾が副長を貫くまでは。

勝つために戦い、、そしてここで敵を押し戻して進撃して
弁天台場の仲間たちのもとへ駆けつけるために…戦い続ける

すべての状況が劣勢になっていても、目の前の戦いに勝つことに魂を燃やし続けていた、そんな気がした。

ワタシの勝手な想像にすぎないが…

五稜郭から一本木関門跡まで小一時間かけて旧道を歩いてみて、
箱館山がいつも目の前にあり、
それがどんどん近づいてくる光景を実感して、
その思いが強くなった。


副長があの日駆け抜けた、1本のまっすぐな道…



本当に貴重な体験だった。


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カテゴリ: ・新選組

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箱館の旅~一本木関門への道 2

最期の地碑を後にし、いよいよ一本木関門跡へ向かった。

海岸町と若松町のちょうど境にあたるところに舗装されていない道があった。

一本木・道

一本木・道

これは、亀田川支流らしき跡、つまりは川があった名残らしい。
そして、一本木関門は、この川に沿ってあったということだ。

一本木・道



目の前は幹線道路の国道5号線。
一本木・道

後ろを振り返ると、五稜郭へ続く旧道が続いていた。
(奥に五稜郭タワーが見える)
一本木・道

このガソリンスタンドを過ぎると国道5号線に出る
一本木・道



五稜郭から旧道をまっすぐ来ると、国道5号線にぶつかるのだが、
そのぶつかったあたりが関門だったということだ。


国道5号線の向こうは、今は埋め立てられてJRの敷地になっているが、当時は浜だったらしい。
黄色い矢印あたりが関門のあった付近で、その手前に広がるJRの敷地は当時は浜だったとのこと
umikannmomm.jpg



つまり、関門のすぐ先はもう海岸だったということになる。



五稜郭を背にして、左へ行けば函館山方向、右へ行けば七重浜方面

そんな拠点となる場所に関門はあったわけだ。




この地に立って、頭の中でイメージしてみた…
(拙者の勝手な想像っす)

写真は、五稜郭から見た旧道と函館山
mitiipponn2.jpg


五稜郭から千代ヶ岡陣屋へ、
そして、千代ヶ岡陣屋から出撃して、
まっすぐの道を馬を飛ばして一本木関門に来た副長。

関門の先に広がるのは海
そして眼中には箱館山。

その箱館山のすぐ下には弁天台場があり、新選組隊士たちが孤立している

箱館山を越えて、箱館の街を縦断しつつ迫りくる新政府軍
七重浜方面からも、海からの艦砲砲撃と陸から迫りくる新政府軍
そんな、大激戦の中、ここ一本木関門は、その両面からの攻撃を受ける拠点ともいうべき場所だったろう。

箱館から敗走してくる味方の軍勢
七重浜では砲撃が続く中の激戦

そんな劣勢の中で大音響が響き
新政府軍の朝陽が大爆発を起こして撃沈されていった!!
さんざん味方の軍勢に砲撃を加えていた敵の軍艦が、海へと沈んでいく…

いっきに歓声があがり、

「この機を逃すな!!退く者は斬る!!」
と、関門付近で馬上で抜刀し、檄を飛ばす副長

劣勢だった旧幕府軍が勢いを取り戻して押し返す
進め~と檄を飛ばし続ける馬上の副長

そして、七重浜方面へもさらに攻撃命令を出す副長

・・・

・・・・・

・・・・・・

・・・

・・



頭の中で浮かべてみたが、そこまでだった…
それ以上は、想像が進まなかった…

「その時」はいったい
いつ、どこでだったんだろうか

関門付近だったのか
もっと箱館寄りのどこかだったのか
あるいは…

今は一本木関門付近だという説が強いようだが、
真実はわからないまま



いまだに真実はわからないが、
馬上だったと思う、そしておそらくは抜刀していただろうと思う

それだけで私には十分だ。

いつどこで「その時」を迎えたのか、その詳細がわからなくても
最期まで刀を持って戦い抜いたということだけでいい!!

仲間を救うため、最期まで戦い抜いた副長がいるってことだけでいい!!
それだけでいい!!それだけでいいのだ!!


今回初めて最期の地碑や一本木関門跡を訪れてみて、
自分の中で湧きあがってきた思いがこれだった。
もうこの思いが強く強く湧きあがってきて
まさに胸が張り裂けそう、いや張り裂けたのだった~


函館に来てまだ1時間あまりしか経っていなかったのに、
「もうすでにここで胸が張り裂けたんで、日野に帰りたい~
もうこれ以上無理だ、いっぱいいっぱいだから、これで帰りたい」
と一瞬本気で帰ろうと思ったほどだった…

バカみたいじゃのう(^_^;)
思い込みが強過ぎて、どうにもならんです(^_^;)

函館に着いてすぐに、この地に立てただけで、もう、函館に来て良かったと心の底から思ったのだった



そして、5月11日の副長の駆け抜けた道を
自分の足で追ってみたくなった。





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箱館の旅~一本木関門への道 1

函館に初上陸を果たし、一番初めに訪れたのが一本木関門だった。

函館駅から徒歩で10分くらいのところにあるので、滞在中は、毎日、朝な夕なにここへ来た。
ちょっと時間ができると、足がここへ向いてしまうのだった。


まずは、土方歳三最期の地碑へ

ここは実際の一本木関門跡から100メートルほど離れたところにあった。
dscn0071[1]

一本木・道



花や線香などがたくさん供えてあって、やはりここは墓碑のような雰囲気があった。
私も友と一緒に高幡不動で買った線香をあげて、手を合わせた。
この時台風の中で買ったもの)

一本木・道

「最期の地」って言葉が胸に突き刺さって痛かった(涙)

苦しい…


地碑の後ろには一本木関門の入口付近が復現されていた
なるほど、こうして再現されているとイメージしやすいなぁ
一本木・道

実際の関門は1キロにも渡っていたらしいが、入口はこのくらいの幅だったのか…

この地碑の近くには通称“歳三桜”があった
一本木・道 一本木・道


函館初上陸の第一歩がここだったので、
もうすでに自分のキャパシティを超えそうだった・・・
よく
「胸が張り裂けそう」
など言うが、本当に胸が張り裂けそうなのはこういうことなのか…と実感!
胸が痛くなるというより、胸の奥から何かが膨張してくる感じ…
そして、それがどんどん大きくなってくるのが抑えきれず、息苦しさが徐々に増していく感じ…

地碑を後にして、一本木関門跡へと歩いたのだが、歩く道すがら、すでに涙目になっていて、口数も少なくなり、友から「どうしたレクさん」と話しかけられても、返すこともできずに歩いていったのだった・・・

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箱館の旅~五稜郭タワー

五稜郭タワーに、行って、登って、見た

これで終わりかよ~(笑)


タワーから見る五稜郭
そして函館市内の町並みと函館山

タワーの魅力は、これに尽きるのだった!!
この風景を一望できるのは本当に素晴らしい~~~

五稜郭
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dscn0528-5.jpg

そして五稜郭から一本木関門へと続くまっすぐの道もはっきり見ることができる
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展望階の副長の像…
dscn0171.jpg




そして透明なケースに入っている歴史解説の模型
(メモリアルポールと名づけられている)
全部で16個あったが、どれも本当に素晴らしい出来上がりで、
何度も見入ってしまった…

模型だから写真と違って、いろんな角度から見ることができるのだ


開陽座礁の模型

副長の後ろ姿から撮ってみた
奉行所など

これは横からの写真
なんか、この副長は山本副長によく似ている気がするのだが…
奉行所など



写真撮影のひとこま
よく目にする幹部のみなさんの写真にそっくりに作ってあった!!
写真撮影の順番を待つ(!?)副長もちゃんといる
奉行所など



二股口の攻防の模型
本当に細部までよく作りこんでいるなぁ~
なるほど、二股攻撃はこういう感じだったのか~とイメージが湧く湧く!
奉行所など



5月11日、関門を突破する副長
dscn0165.jpg
この模型では、中島登さんが書いた『戦友姿絵』の虎の陣羽織を着ている
リアルな躍動感がすばらしい~
dscn0168.jpg





タワー1階の副長像は立っている
dscn0176.jpg

なんかこういう像ってあまり興味が湧かないせいか、随分と引きで撮っていたなぁ(^_^;)
dscn0496.jpg


夕暮れのタワー
こんなシルエットを見ると、怪獣オタクな拙者は、つい
「ギャオスが巣を作りやすそうな形だな」
なんてことを考えてしまった(^_^;)
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五稜郭タワーで買った超オススメ本を2冊紹介!!

1冊目はこれ
『 五稜郭歴史回廊ガイドVol.2 五稜郭激動篇
A4の半分ほどの大きさで全ページオールカラー
30ページに満たないミニミニ本。

DSC_0374.jpg

展望階の模型に添って解説してある本なのだが…
内容がかなり濃いのだ!!

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回天の残骸写真や、千代ヶ岡台場の写真
榎本総裁のオランダ留学写真などなど、貴重な写真や絵図がたくさん載っている!!
そして、
なぜ鷲の木に上陸したのか!?
どうして「脱走軍」を名乗ったのか!?
など、マニアックな解説が随所に書かれているのだ!!
これで200円とは


もう1冊は激闘箱館新選組 箱館戦争史跡紀行』

函館の歴史研究家の方が書いたものをまとめた1冊

DSC_0373.jpg

かなり読みごたえのある1冊で、中島家に伝わる貴重な資料や史跡の解説
箱館新選組隊士についての名簿や、箱館戦争の降伏者、戦死者名簿なども載っている。
1400円だった。

DSC_0372.jpg

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箱館の旅~箱館奉行所 2

奉行所内の展示ブースでは、奉行所の歴史や戊辰戦争が視覚的にもわかりやすいようにパネルなどを工夫した展示だった。

おなじみの絵や地図が並ぶ
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当時の銃も展示
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もちろん、副長のお写真も!!
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今回再現されたのは、実際の奉行所の3分の一であって、あとの3分の二はまだ…
でも、地面にはその部屋割がわかるように、再現されていない部屋が白線で書いてあった!!

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なるほど!!
松の木は、その部屋があった場所を囲むように立っている!!



裏から見た、奉行所全景
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この松の木たちは樹齢150年だそうだ
奉行所の創設当時から見守っている松の木たち…

dscn0373.jpg

この松の木たちは、副長を見ていたのか
そして、副長はこの松の木たちを見ていたのか

奉行所の中にいると思い浮かぶのは組!!の場面ばかりだったのだが、
外に出ると、とたんに事実の重みというか、実際に生きた人たちの存在が胸に迫ってきた!!

やはり、この空間は強くて重い、
心にずしんとくる重みだった…

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箱館の旅~箱館奉行所 1

やはり五稜郭タワーや箱館奉行所は観光客で賑わっているので、
なんとなくこちらも観光気分になれた!

友だちと合流したので、なおさら

いろんなモノを見て、撮って、買って、ウキウキしながら過ごした



奉行所の前は、写真を撮る観光客が多いし、地元の小学校が写生に来ていた。
五稜郭の中でもイチバンここが華やいでいた

立派に復元された箱館奉行所
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タワーから見た上からの奉行所
奉行所など



おなじみの太鼓櫓
この太鼓櫓は、外からはかなり目立ちやすくて新政府軍の艦砲撃の的になってしまったとか

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これを見ると浮かぶのは、やっぱり組!!の総裁と副長のあのシーン
窓から箱館の夜景を見て語る2人
「見たまえ、この豊かな広々とした土地を」
と新しい国への夢を語る総裁…

そしてもう1シーン
副長戦死後、すべての夢が破れ、ひとり太鼓櫓の窓に佇む総裁…


なぜか、箱館奉行所を見ていると、史実よりもやたらと組!!が浮かんでしまったんだよなぁ~



いざ、奉行所の中へ
dscn0346.jpg



忠実に細部に渡って再現された天井
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中の梁の太さに圧倒された!
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壱之間、弐之間、参之間、四之間が連なり、
すべて開け放つと72畳にもなるという大広間
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ここに幹部を全員集めて、いろいろな訓示がなされたのかなぁ
入れ札もここか!?

「長い間、ご苦労であった。戦は本日で終わりだ。」
「ここまできて、降伏するんですか?!」
「総裁~~」「総裁~~」
と、小声で、しばし友と組!!ごっこをした(あはは)


イチバン奥の壱之間は格式が高く、特別な儀式などに使われたとか
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大広間のさらに奥には武器置所があり、

buki.jpg

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さらにその奥にある部屋が表座敷と名づけられた部屋。
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最も格式が高くて執務室だったとか…。
ここが、総裁のお部屋だったのかな~
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大広間の廊下は、なんと全部畳敷きだった

dscn0351.jpg

この廊下で、またまた小声で
「何も思わないのか、あの声を聞いて」
「俺たちは大事なことを忘れていたようだ!」
「あきらめないってことだ」
と組!!を再現するアタシとあいつとあいつ(笑)
どうにも抑えきれないのだ~
新しくてまるでセットのような気がしてしまうのか、
どうしても組!!に頭が行ってしまった(^_^;)


しかし、幹部クラスの居たエリアは、畳敷きがほとんどなんだな~

以前は、箱館奉行所の中は、なんとなくもっと洋風なイメージがあった。
ずっと前に、五稜郭の夢を見たことがあったのだが、
夢の中の箱館奉行所は、大会議室がまるでベルサイユ宮殿のようで、シャンデリアが輝き、
廊下も鏡の間のようになっていて、テーブルも椅子も猫足だった…
あははは~

考えてみれば、副長は、軍服はフランス式でも、オフは和服だったかもしれない
お部屋では、着流しでくつろいでいたのか…
だって、戦のやり方は西洋式を取り入れたからといって、外国暮らしを経験したわけじゃないし、オフはそのままだろうし。
あの御髪で着流し~、さぞやかっこよかっただろうな(妄想中)


太鼓と太鼓櫓へ向かう階段
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階段の手前までで、その奥は立ち入りは禁止なので、手を目いっぱい伸ばしてシャッターを押してみたら、なんとか階段が写っていた。
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中庭から太鼓櫓を望む
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箱館の旅~五稜郭 3

五稜郭には函館滞在中に3度足を運んだ。

その3度で、とにかく歩いたり、ただ佇んだり…
何をどうって言うことは説明できないんだが、
とにかく五稜郭の中にいて、息して、歩いて、見上げて、
見つめて、歩いて、立って、踏みしめて、
また歩いて、眺めて、立ちつくして…
何かに取りつかれたように、ただただそれを繰り返していたのだった。

そんな中、見つけた弾薬庫跡

箱館戦争時に旧幕府軍によってつくられたもので五稜郭内には6カ所あるとのことだった。

五稜郭

弾薬庫

ここは、いや、ここも、戊辰戦争の生々しさを感じた場所だった

五稜郭

五稜郭




五稜郭の裏門にも行ってみた!

五稜郭

1868年10月26日 大鳥圭介の一行は裏門から入城したそうだ。

裏門橋からの眺め

五稜郭



あとは、ひたすら歩き、立った!!

五稜郭の先端部分にも行ってみた。

五稜郭

五稜郭の堤の上を歩くとやはり思い出してしまった…
大野右仲さんがひとり五稜郭に戻って涙している、あの一節を

「吾れ夜堤上を歩きて見るに、月は欠けて天に在り、曠野渺漫たり。
砲台は湾を隔てて雲煙の中に髣髴たり。
独り兄事する所の奉行の死を嘆き、同胞の如く交わりたる者は皆彼に在りて、
吾れのみ敵陣の遮る所と為りて至るを得ず
涙を垂れて、楚の項羽の「時利あらず、騅行かず」の句を吟ず」
(『函館戦記』より)


こうして書き出しているだけで、涙腺にきてしまう…

副長の死を嘆き、弁天台場に残された仲間を思って嘆き
自分だけがどうすることもできずに五稜郭にいることを嘆き…
そして「涙を垂れて」とも書いてある。
夜、ひとり、涙を流しながら五稜郭の堤を歩く大野さん

会津の清水屋で会って以来、蝦夷ではかなり副長と近いところにいて常に補佐してきた人であり、共に激戦を戦い抜いたひとりであり、そして、最期の副長の言葉を聞いたでひとりでもある…
副長戦死の後の夜、こうしてひとり五稜郭の堤を歩きながら涙していたんだなぁ


そんなことも考えながら、ひたすら歩いて立ち止まっていた

五稜郭


そしていよいよ五稜郭に別れを告げるという時
ふと佇んで五稜郭からの景色をを見てみた

五稜郭…
ここには、彼らの確かな存在がある!あり過ぎる!!

この時思い浮かんだのは、土方資料館に展示されている安富才輔さんの手紙だった。
副長の戦死を知らせるその内容もさることながら
手紙の最後に
5月16日認 箱館五稜郭内 安富才輔
とあるのだ。
降伏目前の五稜郭の中でこの手紙は書かれた
というこの事実!
当たり前のようだが、この確実性、事実の重み、
私にとっては、それが五稜郭の存在意義なのだと思う。
だから、五稜郭の中に入り、中を歩き、立ち、眺めるということが私には大きいことなんだなぁ。

五稜郭


副長が入城したのは真冬だったから、吹雪の日々だったろう…

でも、春になり雪解けになり、まだ平時だった時に、
こうして堤上に立って空や山を眺める瞬間があったかもしれない
ここに立ってこの風景を見ていたかもしれない

いくら町並みは変わっていても、山は変わらないはずだ。
そしてこの高さも、この場所も、

確かに彼は、この五稜郭のどこかに立っていたのだ
同じ地に立ったのだ、確かに…

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箱館の旅~五稜郭 2

砲台展示の後ろには、兵糧庫があった!!
これは箱館奉行所の附属建物として築造されたもので、五稜郭で唯一現存する建物だ。
五稜郭

五稜郭

8月には中に様々な展示物を並べて一般公開していたそうで、今はその展示の片付け作業中だった。
中を覗いていたら、ワタシがものすごく真剣な顔で見ていたらしくて、その形相が鬼気迫るものだったのか(笑)、作業中の方が声をかけてくださった!
そしてちょっと中を見せてくださり、展示物も片づけ済だったので中の写真も撮らせてくださった。

フラッシュをたかずに感度をあげてみた
hyoutou [1]

感動のあまり2枚目の写真がピンボケだったのが惜しまれるよぉ~
ひょうろうこ2

職員の方は、
「外回りは白く塗ってきれいにしてあるけど、中の建物は間違いなく当時の物だよ!」
とおっしゃっていた。
一度解体はしたけれど、そのまま、また組み立てたそうだ。



その後、片隅にひっそりとある「五稜郭の土饅頭」へ行って、手を合わせた…
ここは何も語らず、書かず…ただただ合掌…
五稜郭

そしてさらに五稜郭の中をひたすらひたすら歩いてみた。

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箱館の旅~五稜郭 1

ついに

ついに

ついに五稜郭に来た


五稜郭

五稜郭

五稜郭
五稜郭
五稜郭

いざ、五稜郭に入城となると、あまりに感激して震えてしまった…

まさに、ここなのだ
まさに、まさに、まさに…

多少の整備や手入れはあれど、ここは変わらないのだ!!
この形、この広さ、この空間…それは当時と変わっていないのだ!!
まさにこの場所、この中に、彼らはいたのだ…

ワタシにとっては、この変わらなさ、この確実さが何よりも価値ある場所なのだ。

もちろん、中の史跡を見ることも嬉しいが、
何よりもまず、五稜郭の中に入れるということ
彼らが立っていただろう地面に立てるということ

それが感動なのだ…



まず、表門に行く前に半月堡に立ってみた!
(矢印のところ)
半月ちゃん



半月堡は、五稜郭内の出入口の防御のためのもので、本当は5個作るはずだったと…
予算の関係でひとつだけになったらしい。
五稜郭

尖った先端部分を撮ってみた!
五稜郭




そして、いよいよ五稜郭に入った

いたるところに残されている石垣
5メートル以上はあった…

この石垣も、戊辰戦争の戦いを見つめてきたんだなぁ
五稜郭
敵が石垣を上るのを防ぐために、石垣の上部が一段だけせり出している刎ね出しがある。
「刎ね出し」とは「武者返し」「忍び返し」ともよばれていて、天端から2段目の石が張り出して積まれているため、外から石垣を乗り越えられにくい構造になっているそうだ。
まさに、防御仕様の石垣なのだ。


五稜郭の中心にあるのは、再建されて1周年を迎えた箱館奉行所
dscn0505.jpg


そして、奉行所の前の道を挟んですぐのところには、戊辰戦争時の砲弾と大砲があった!

★一門は、築島台場の大砲で、イギリス製。
(※築島台場があったのは現在の末広町および豊川町、金森倉庫、あたりらしい)

★もう一門は、幕府軍の軍艦 蟠龍に撃沈された新政府軍軍艦「朝陽」の大砲で、ドイツ製。

五稜郭

五稜郭

五稜郭

朝陽といえば、運命の5月11日に幕府軍の軍艦 蟠龍に撃沈された軍艦。

そして、一本木関門にいた副長が言ったあまりにも有名な言葉
大野右仲さんの『函館戦記』にある
「この機失すべからず。
士官隊に令して速進せん。しかれども敗兵俄に用い難し。
吾れこの柵に在りて、退く者は斬らん。子は率いて戦え。」


この副長の言葉の中の「この機」が、まさに朝陽撃沈のことなのだ~

組!!でも出てきました~
この朝陽の撃沈シーンが…
それを見て
「見ろ! 敵の艦が沈んでいく。
あれは我が軍の勝利の烽火だ。
今こそ敵の本陣に斬り込む時だ」
と馬上から檄を飛ばす山本副長

いかんいかん
記事を書きつつ涙が出てきた

しばし、涙ぐむ…

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箱館の旅~序章

序章なんてタイトルにしちゃってカッコつけてますが(^_^;)

もう、あまりにもウザくて熱い記事になってしまって、
しかもボリュームもあって、ストックしているのもシンドクなってきたんで
(あはは)
まだ途中ですが、順次出来たものからアップしてしまおうってことですう(なんや)


2011年9月22日から26日までの箱館への旅

記事は、日付に従って順序だてては書いているわけではありませぬ!
同じところを何度も訪れたりしているので、場所別に分けて書いています。
時系列はバラバラで、前後しています。

また、跡地やその内容、人物像、戦争の経緯などが諸説ある中で、自分としてはこうじゃないか~という感じで書いていますので、断定した文体にならないように気をつけていますが、思い入れが強過ぎで熱くなるあまり、言いきってしまっているところもありますが、ご勘弁を

この「箱館への旅」は、史跡レポでもなく、観光案内にもならず、ただただ思い入れの強い拙者の熱くウザい妄想の混じった感想や思いをぶつけたものです。

見当はずれな内容もあるかとは思いますが、旅の途中で書いたメモや写真を元に、ただただ自分の日記として残しておきたいと思い、書いたものですのでご了承ください。

まだ途中なので、随時アップした記事を、サイドバーに設けた「2011箱館の旅」に入れていきますので、よろしくお願いします。
なお、文中では呼び方を「副長」でほぼ通しています。



旅立つ前の資料作成や記事を書くにあたっては、以下の文献を参考にさせていただきました。
(記事のアップ経過途中で随時追記します)
(敬称略)
『子孫が語る土方歳三』(土方愛 著)
『新選組実録』(相川司・菊池明 著)
『新選組資料集 コンパクト版』(新人物往来社編)
『土方歳三の35年』(菊地明 著)
『箱館戦争写真集』(菊池明・横田淳 著)
『激闘 箱館新選組』(近江幸雄 著)

カテゴリ: ・新選組

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喜びもつかの間…

マグトップのワイルド王子に狂喜乱舞していたら、
思わぬ落とし穴が待っていた

今日のNHKのナレーション

遅い夕飯を食べながら、「ながら見」ってか、「ながら聞き」していた…

どうせ、あとからじっくり録画したものを観るから~とかるーく聞いていた。


相変わらず、エエ声やなぁ~
ナレーションは間違いがないな!!

大船渡を語る時、やはり複雑な思いだったのかなぁ
お世話になった大船渡があんな風に津波で被害にあってしまって・・
でも、そこから復興にむけて頑張っている方々を心から応援しつつナレーションに向かったんだろうな~

などと思いめぐらせながらも、洗いものをしていてで途中から聞こえず・・・

「ま、あとからじっくり聞くからいっか~」
と余裕だった。

だったのだが…

・・・

・・・・・

・・・

そ、「ご想像通りの展開」



録画失敗していた(ToT)

なんで失敗すんねん!!


この番組って第一部と第二部があったんですね~~~(今さら)

録画予約の時、間違って第二部を予約していたのだったあああ~

ああああ、もう
耕ちゃんのナレは第一部だったじゃないかぁ~

自分でブログには、「10月22日(土)19:30~20:45 NHK総合」てちゃんと書いてたくせにぃ~
なんで間違うねん

「バカなの!!」(by 荒川コウジ)

そんな人生なんだよな、いっつも(^_^;)

カテゴリ: ・その他のコウジ

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