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誠に生きる 第二章

2011箱館の旅 (途中)

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誠に生きる〈第三章〉  

副長を崇拝しHEDWIGを愛し山本耕史さんを応援する日記

まさかのクッキングコウジ

昨夜の1Hセンス

ああ、もう、やっぱこのお方は予想を裏切るのう!!

まさかまさかのお料理教室ううう

ラーメン屋、競馬場
本命は楽器店

とふんでいたのに、まさかクッキングとは…

それも、横浜まで行っての本当の料理教室でクッキングとは…

予想を超えるという意味で
「いやはや、超人だ」(古~わかる人おるか~)

料理も役者も素材をどう扱い、誰に食べてもらうか
どんな味付けをするかという意味では同じだとおっさる、クッキングコウジ

ほうれん草のもちもちパスタを手打ちで作るとは…

おそるおそる包丁を持ってうろたえる耕ちゃんを見てから、隔世の感ありじゃ…

やっぱ、磐音さまの鰻裂き修行で包丁を持ってからだろうか!?


パスタをこねる手にも萌えたが、
やっぱ「おお!」と思ったのは、料理教室に向かうコウジィだわん
オープンカー仕様の黒ベンツを運転するコウジヤマモト
番組提供がベンツだからだろうけど…

ラフなチェックの柄シャツで黒ベンツってのが、またエエなぁ~
ベンツは俺の普段着~みたいな感じで(何)
ラフだからこそ、逆にスターっぽかった
運転コウジも貴重な映像だし~

そして、なんつうタイミング!!
昨日ヒノベンを観てきたばっかしで、冒頭にヒノベンのアップが映ったから
それも、ヒノベンワールド全開な、お屋敷の場面で!!
まさに
「アタシを喜ばせたい!?」
だった!
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カテゴリ: ・ステキな金縛り

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お誕生日おめでとう!!

耕史くん!

お誕生日おめでとうございます!!


DSC_0403_20111031073214.jpg


昨日、1日早いけど、友とささやかながら、ケーキでお祝いさせていただきやした!
二日酔いだからアルコール抜きじゃった(あはは)


DSC_0395_20111031073004.jpg




息切れしつつ、
微力ですが、
ウザくて熱い
応援し続けますぜ~~~\(^o^)/

「まじめに言って、トム、アタシ愛は不滅だと信じてる」

カテゴリ: ・その他のコウジ

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こんなお酒を飲んだ!

昨夜は職場の飲み会で、あんまり飲まないつもりがついつい飲んじまって、頭ガンガンだぁ

だって、こんなお酒を出された日にゃ、飲まずにいられんて…

甘口な日本酒をってお任せオーダーしたら、お店の人が持ってきたのがこれ!!
DSC_0394.jpg

会津中将さま、御預かり~~~~~

殿~~~~~~(涙)


今日は初ヒノベンでござるよ~
「ハツヒノベン」って「初日の出」に似てるわ
どうでもいいことですが(^_^;)

朝風呂に入って気合い入れるぞぃ

カテゴリ: ・新選組

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箱館の旅~碧血碑

「碧血碑」という名前を初めて知った時、この名前にこめられた思いに涙が止まらなかった。
あまりにも切なくて…
そして、この碑になんとふさわしい名前だろうと思った。

「萇弘死于蜀、藏其血三年而化為碧」(荘子)

忠義を貫いて死んだ者の血は、三年経てば碧色になるのだという。



本当に切ない名前だなぁ…


碧血碑

うっそうとした上り坂を歩く

碧血碑

碧血碑

途中で目にとまったのは、なんと牛額草だった

石田散薬の原料として知られるこの草が、碧血碑への道すがらに群生しているとは…
なんだか、もうそれだけで涙目なってしまい、目を潤ませながらひたすら坂を上った
碧血碑


まずは、柳川熊吉さんの碑に手を合わせた。

碧血碑

碧血碑

熊吉さんは、賊軍として埋葬を許されずに放置されたままの旧幕軍の遺体を命がけで埋葬してくださった方だ。

何百体もの遺体が無残に放置されて傷んでいく様は、悲惨なものだったろう…(涙)
でも、明治政府の命に背くと言うのは、まさに命がけの行為だ。
実行寺の住職と共に、遺体を実行寺に埋葬し続けた熊吉さん、
近隣の住民や熊吉さんの子分達も手伝だったそうだ。
その後、新政府軍に囚われて斬首になりそうな熊吉さんだったが、薩摩の田島圭蔵により釈放された。

この田島圭蔵という人は、高雄丸(新政府軍の軍艦)の艦長で、明治元年に箱館港で旧幕府側に拿捕され一時は投獄されたが、放免になってに青森に生還できたという経験がある。
救ってもらった命という恩義…
この田島さんもまた、恩義を忘れない侍魂のある方だったのだなぁ…


明治4年になると、熊吉さんは今の地に土地を自ら購入し、その後、明治8年に榎本さん、大鳥さんらの尽力も得て、この碧血碑が建てられたのだった。
熊吉さんは碧血碑の番人として晩年を過ごしたという。

dscn0185[1]


ここを訪れること、それはただただ鎮魂のみ
箱館戦争だけではなく、すべての戊辰戦争で命を落とした旧幕府軍全ての方々の魂の安らぎを願って手を合わせた。
碧血碑


碧血碑



碧血碑


ここを実際に訪れて感じたのは、まず独特の空気感だった。
ここだけ時が止まっているような、
まだ戊辰の時にいるような…

このまわりには21世紀の世界が広がっているのが嘘のような、
そんな空気感だった。

壁はないのだが、私には閉じられた空間に思えた。
目には見えない何かでバリアが張ってあるような…そんな空間


碧血碑の上には、突き抜けるような澄んだ青い空が広がっていた。

碧血碑



台座裏の碑文は
「明治辰巳實有此事 立石山上以表厥志 明治八年五月」
と刻まれている。

すでに旧幕軍戦没者の慰霊の許可はでてはいたが、「実に此のことあり」としか書けなかった当時のことを思い、
また「以てその志を表す」というこの短い碑文に込められた思いを察すると涙が出た…

碧血碑は、もちろん戦死した仲間たちの鎮魂のためのものなのだが、生き残って明治の世の中を生き続けた者たちにとってもまた魂に安らぎを与える存在だったのではないだろうか…

この碑を建てることに力を注ぎ、この碑で慰霊を行うことが、生き残った者たちの魂も救ったような気がする。

共に戦い、共に生きて、そして極限まで戦い抜こうとして死んでいった仲間と、今生きている自分。
生き残って明治の世の中を生きている中で、戦いの日々や死んでいった仲間たちのことを思う時、どんなに大きい心の痛みや苦しみがあっただろうか…

そう思うと、生き残った彼らにとっても、この碧血碑は、魂の安らぎを得られる唯一の場所だったのかもしれない。

命を燃やし尽くした者、命を灯し続けた者
そのどちらにとっても鎮魂の碑なのだと思う。

碧血碑」という名前にこめられた痛いほど深い思い…

そんなことを感じながら線香をあげ、手を合わせてきたのだった。




帰りの道に季節外れの紫陽花が一輪咲いていた。

DSC_0256.jpg






カテゴリ: ・新選組

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なんとなく

なんか、気のせいか、日本がガランとした感じですな…
ははは~(^_^;)

「寂しいって言ってた」(by ヘド姐さん)

早く帰ってきてぇ~(誰!?)


ちょいと今は秋の風が寒く感じるのだが(寂)、
これからの予定がいろいろあってバタバタだ

11月にちょっとした遠征をするんで、その準備もせなあかんのだが、
毎日忙しくて、準備もままならず…
箱館の旅も頭の中で下書きの下書きはあるんだが、なかなか書けず…

ちょっとあれこれ停滞している日々だぁ


しかし、自分で思っていた以上に箱館行きがずっと大きく心の中を占め続けているんで、9月以来、ずっとチーム箱館を思い続けている毎日…

昨日は仕事の最中にチェックしていた書類に
「箱館戦争」
って書いてあってあまりにおろろいてうろたえました~

なにゆえ、お歳暮の商品項目に箱館戦争があるのだあああ~

思わず、立ち上がりそうになった…

で、よく見たら
「箱詰特選」
だった(え)

箱しか合ってないじゃないの~(^_^;)

もう、こうなってくるとビョーキだ(あはは)

今も、頭の中では、ずーっとずっとずっとずーーーーーっと箱館がうずまいていて
戊辰が終わらねぇ~

11月にはさらに輪をかけてチーム箱館にのめり込みそうな予感のする、そんな10月の終わり

カテゴリ: ・新選組

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「待たせたな!」うおあああ~

変な記事タイトルでスンマセン(^_^;)


でも、もう、このタイトルの通りなんすよおおお~


今日のNHKのスタジオパークからこんにちは
ゲストのミタニンの作品紹介で出た、組!が!!

いや、NHKでミタニンだから、組!映像が出るのは
「ご想像通りの展開」

だけど、出た映像が池田屋の

「かっちゃん、後ろだ!!」

ズバ!

「待たせたな」


ぐおおおおおお~

何度も見てるし
何度も使われてるし
今さらなんだが

でも、でも、こうして新たにオンエアで出ると

萌えて燃えて燃えて萌えて萌えて燃えて燃えて萌えて萌えて燃えて燃えて萌えて萌えて燃えて燃えて萌えて萌えて燃えて燃えて萌えて萌えて燃えて燃えて萌えて萌えて燃えて燃えて萌えて萌えて燃えて燃えて萌えて萌えて燃えて燃えて萌えて萌えて燃えて燃えて萌えて萌えて燃えて燃えて萌えて萌えて燃えて燃えて萌えて

しつこ~~~(笑)


今また萌えるし燃えるし
テンション上り龍状態(何)


なんでこんなに嬉しいんだろ!?

なぜかテレビに出ると、ものすごく新鮮で燃えるのだあああ~


ああ、ホントに、この数秒だけでアタシ生きられるわさ~~~

カテゴリ: ・新選組

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職場でたっち~

あ~あ、昨日も今日も仕事だぁ
遠出もできず、多摩でバイトの毎日っす(-_-;)

♪ストップしよう、バイト生活~♪(by ジェイミー)

ストップできねえ~~~(^_^;)


いや、このご時世…
こんなワタスが雇ってもらえるだけでも、感謝感謝です…


昨日、休憩時間に、なにげに若い社員の方達とスマホ談議になっていたら、
「ボクもスマホにしました~」
とスマホを見せてくれた方がいた!

な、な、なんと、そのスマホはドコモだったあああ~

ドコモのスマホと言えば、あれですぜ!!!!!

たっち~スピンオフ、フ、フが見られる唯一のスマホ

「ドコモ限定配信の動画があるんですよ~」

と訴えたら、その社員さんが見せてくれた~
たっち~スピンオフを!!!!!


「いいひとだ~」(by 殿内さん)

うおおお~
職場で手錠のたっち~が見られるとは(嬉涙)

途中までだったけど、わざわざボリュームを上げて見せてくれて
萌えました~~~

なんていい若者なんだ\(^o^)/


テンションが上がり過ぎて、
それにやっぱ、なんかほかの人たちがいる場所で耕ちゃんを見ると妙に恥ずかしくて(何)
嬉しいやら萌えるやらこっぱずかしいやらで、汗まみれになってしまった(笑)

でも、とにかく、やっぱテンションが上がりますな~~~

あまりにもテンションが上がり過ぎて、その後仕事に戻って電話に出たら、声がひっくり返ってしまった

今日も頑張って働くぞ~~~
どうかまた見せてもらえますように(あはは)

カテゴリ: ・パンドラ

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箱館の旅~松前の旅 5

松前城を一周し、門の跡を行ったり来たり…
馬坂を登ったり降りたり
門を何度もくぐったり

何かわけわからんけど、ウロウロしてしまった(^_^;)

そして、いよいよ松前城の裏手にあたる寺町通りへ

寺町通りはひっそりしていて、木陰が多くて薄暗かった

なのに、やたらとテンションを上げて歩くヤツがひとり…

副長が陸軍隊などを率いてお城の裏手の寺町に回りこんで、梯子をかけて石垣を登り城内に突入したと言われている、その寺町通りに来たのだ

『島田魁日記』
「総督陸軍隊守衛新選組ヲ率テ城裏ニ廻リ梯子ヲ以テ石檣ヲ登リ城中ニ潜ミ入」
とある。

正面の門からの敵に釘づけだった松前軍は、背後から不意をつかれて狼狽し敗走…
挟み撃ちになったわけだもんなぁ…

松前

松前

当時はこの通りの半分が掘りだったらしい
松前

副長がどこから梯子をかけて城内に入ったのか、ピンポイントはわからないので、とにかく寺町をまんべんなく歩いて網羅してみた!
dscn0471-3.jpg

松前
松前
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寺町通りを歩き倒し、松前の旅もそろそろ終わりに近づいた…



松前城を出て馬坂を下り、通りに出てすぐに松前奉行所跡があった!
(現在は松前町役場)

松前

松前

旧幕府軍が占領した直後に描かれた松前城下図には、松前城内と法華寺と、そしてここ松前奉行所に日の丸がひるがえった図があるので、きっとここも屯所のような形で使っていたに違いない!



そして、その奉行所跡のすぐ近くには、人見勝太郎さんが宿陣していたという藩医桜井小膳宅があったらしい。
(済衆館という医学校が併設されたお宅だったとのこと)
今は何も残っていないが…。
松前に5日間ほど滞在した副長も、きっとここに泊っていたんじゃないかなぁ…
この辺りだろうか!?
ここら辺が副長宿泊の跡だ~と信じて写真を撮った
(松前奉行所跡を左手に北に向かって歩いてすぐあたりを撮ってみた)
松前


バスの時間まで少しあったので、またも松前城下へ戻り、馬坂を登ってみた!
どんだけ好きなんだ、馬坂が~(あはは)
いや、馬坂を登らんとどこへも行けんのよ~

搦め手二の門をくぐり、またまた寺町も歩き
そして馬坂を下って、ついに松前城を後にした…

なんだか自分が松前にいるのが夢のようだったなぁ

やはりその場に立つと、その距離感が実感できたり、風景を共有できたような気がして感動また感動だった

帰りも、行きと全く同じ道を逆ルートで路線バスと電車を乗り継いで函館へ戻った。

帰りの電車の中で見た函館山の風景…

いろいろな思いが浮かんでは消え、また浮かんできた。

松前城の寺町通りを歩いていた時、松前藩主の菩提寺である法幢寺へも行き、境内の松前家御霊屋(歴代藩主の位牌)と裏手の松前家墓所お墓にもお参りをさせていただいたのだ。
(お寺の写真も撮ったのだが、なぜかものすごくブレていて載せられなかった)
旧幕府軍に松前を追われた松前藩主一行は日本海へ脱出して津軽へ向かったが、冬の荒波の航海は難行であり、船中で5歳の姫はなくなり、藩主自身も弘前で亡くなったそうだ。
そして、翌年の新政府軍の攻撃に参加した松前藩士たちは、無念の死をとげた藩主を思い、軍服の下に喪服をきていたという話も伝わっている…

そんなことを思っていたら、ふとある住職の言葉を思い出した。

以前に河合継之助の史跡をめぐって長岡や小千谷市を訪ねた時のこと。
長岡戦争の中でも有名な(河合継之助と岩村精一郎会見の間がある)慈眼寺で、ご住職のお話を伺ったのだが、ご住職は旧幕府軍を弔い、仏壇に新政府軍も弔っていた。
そして、
「国を思って命がけで戦った人たちは、敵も味方もなく、みな忠義の侍だと思います。」
とおっしゃっていた。


そんなことを思いながら、函館山の中の箱館山を見ていたら、わけもなく涙が出てきたのだった

松前

カテゴリ: ・新選組

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箱館の旅~松前の旅 4

松前城へ入った!!

松前

復元された天守閣
松前





本丸御門と天守閣

この本丸御門は慶長11年(1606年)に完成したもので、松前城で現存する唯一の門。
重要文化財に指定されている。
松前

天守閣の石垣には、戊辰戦争時の砲弾跡が今も残っていた!!
今も残る砲弾の跡が生々しい
松前
松前


松前城の天守閣は「松前城資料館」になっていて、ミニ資料館って感じだった。

DSC_0392.jpg


おもに松前の歴史についての展示だったが、戊辰戦争関係では副長・総裁・人見さんの写真が並んで飾ってあるのがちょっと嬉しかった~
(係りの方に聞いたら写真撮影はOKでした)

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この3人のラインナップは新鮮だった

そして、松前城の古写真も展示されていた。


天守閣から見る法華寺(赤い屋根と墓地が見える)
松前

本丸御門近くには、旧本丸御殿玄関が現存していた。
松前

dscn0450-2.jpg

カテゴリ: ・新選組

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箱館の旅~松前の旅 3

いよいよ松前城(福山城)に入る!!

まずは、橋を渡って馬坂を上った!

松前

dscn0440-22.jpg


松前
umasakhasi.jpg


松前


松前城(福山城)は階段のような作りで、山の上から階段状に本丸、二の丸、その下に三の丸という作りで、三の丸のあたりに7つの砲台があったそうだ。

馬坂を上ったところ(三の丸付近)に、当時の松前城のジオラマと地図があった!
これを見ると門の位置がわかりやすい!!
松前

松前

松前城の門は「搦手升形」と言われる堅固な作りだったのだ。

まず外に馬坂門があり、それを突破しても搦手二の門搦手門とで升形状の門になっている。

mon3.jpg



升形状の門というのは、門が箱型に構成されていて、2つの門が設置されているのだ。
この箱、つまり門を2つを通過しないと本丸の敷地に入れないようになっている。
また、箱型になっているから、二つの門の間で敵を閉じ込めてはさみうちにもできるという構造なのだ。

拡大図
↓この図で、搦手二の門搦手門がその2つの門にあたる。

dscn0456-2.jpg

つまりは、
馬坂門を突破し、

搦手二の門を突破し、

さらに搦手門を突破し

やっと本丸へは入っていける
ってことなのだ

すごいなぁ~
突破しても、また門があり、そこを突破してもまた門があるんだもんぁ


松前城攻撃では、門に絡んだ有名なエピソードがありますな
松前軍が、門を開いては砲撃しすぐに閉じ、また開いては砲撃するというのを繰り返して、旧幕府軍が苦戦したと…。
そこで、城門を開くタイミングでいっせいに銃撃して突破したという。

この攻防は搦め手の門といわれているが、
(実際にその地に立ってみると実感できるのだが)
この構造からすると、いちばん外側の馬坂門での攻防だったような気がする。

どちらにせよ、こういう構造だったから、門をすべて突破して本丸に向かうには、かなり苦戦をしいられただろうなぁ…

門の突破に苦戦している時、副長の寺町からの奇襲攻撃が行われて、松前兵は総崩れとなるわけだが、その寺町へは松前城探索の後でじっくりと回った。

まずは松前城内へ、いざ!!!!

馬坂門跡
松前
松前


搦手二の門跡
松前

現在復元されているのは、搦手二の門だけ
松前


搦手門跡
松前







カテゴリ: ・新選組

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箱館の旅~松前の旅 2

着いたあああ~\(^o^)/

松城」というバス停で下車
松前
なんかものすご海沿いのバス停なんすけどぉ…
海沿いっていうより、真下が海って感じ
これ、真冬に海が荒れたら、もろに波しぶきがかかるんじゃないかぁ

そういえばワタシの通っていた新潟の中学は、グランドの真下がすぐ砂浜っていうすごい立地だった!
当時は、放課後にテトラポットでカニ取りなんかして遊んでいたっけなぁ…
冬の日本海はものすごく荒れるので、グランドまで波しぶきがかかるのは当たり前で、
ひどい時は授業中に「パシャっ」って音がして、見ると窓に波しぶきが当たっていたのだった…

「また話がそれたわ、話をもとに戻しましょう」(by ヘド姐さん)


このバス停を降りてまっすぐ松前城には向かわず、道を曲がって法華寺をめざして歩いていたら、
「おお~い!おお~い!」
とどこからかワタシを呼ぶ声が…
松前に知り合いはいないはずなんだが(^_^;)
声のした方を振り返ると、漁師風のお兄さんが必死でこっちに叫んでいた。
「そっちじゃないそっちじゃない、城はこっちさ~」
どうもそのお兄さんは、ワタシが道を間違えているんだと思って、必死に教えてくれていたらしい。
バス停を降りた観光客は、城を目指すんでしょうな、普通は…
「法華寺に行ってから松前城へ行きます」
と話したら、松前城への地元の人しか通らない近道を教えてくださった!
なんか、人情が熱いっていうか、見知らぬ者にもこんな風に声をかけけくれるんだなぁ…
ホントに感激しました



さあ、いよいよ法華寺だ!!

法華寺へはかなり急な階段を上って行かねばならなかった。
松前
登りきったところから海を見た
松前


山門をくぐる
dscn0422.jpg

法華寺本堂
松前

松前




法華寺の墓地には松前攻撃で戦死した旧幕府軍のお墓がいくつかあった。
確認できたのは、会津藩士だった赤羽音吉さんの墓碑と、
「徳川 陸軍隊、士官隊」とあり戒名のみが刻まれている墓碑。

赤羽さんの墓碑の裏には、
「慶應四戊辰年十一月五日 會津臣 赤羽音吉」
とあった。

静かに手を合わせて「どうか安らかに」とご冥府をお祈りさせていただいた。
そして、周囲のお墓のみなさんにも、「お邪魔してすみません、副長の足跡をたどっているので」と…。


さて

1868年11月5日、松前城下に入った副長は、ここに大砲を設置してここから松前城へ砲撃を開始!!

まさにこのあたりに大砲を置いたのか!
有名な松前城の古写真と近い角度から写真を撮ってみた

松前

松前攻撃の総督である副長は、この辺りから戦況をうかがい、指示を出していたのかもしれないと思うと、胸に迫るものがあった
同じ場所に今自分がたっているのだ…
城下の町並みは様変わりしているが、自然の織りなす風景は変わっていないはずだ。
今目にしている山や海、それは副長の目にも入っていたに違いない

そして、この距離感も変わらないはずだ…
ここから眺める松前城、この距離感はここに立ってこそ実感できるものだった!

う~ん凄い!
ここからだと必ず命中しそうなほどの視界の良さだ!!

こういう場所ってどうやってきめるんだろうか
事前にどれくらいの情報を得ているものなのか…
先方隊が偵察隊のような役目を果たして周辺の様子を副長に知らせてあったのだろう…

指揮官には、情報収集と素早い読みとそして即効の決断が必須だと思うのだが、
まさに、副長の指揮官としての有能ぶりがわかるなぁ


海からは回天が艦砲射撃を開始!!

さらに松前城へと攻め込むのであった!!

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箱館の旅~松前の旅 1

松前へのひとり旅
この旅のキーワードは「辿たどる」

松前城下だけが目的地ではない。
副長が進軍していった道をたどり、その距離感、風景、空気を感じながら自分も進軍していきたかった。

そして松前城下めぐり

函館市内と共にどうしても行ってみたかった場所、それが松前なのだ。
蝦夷地での最初の“軍師 土方歳三”の戦いぶりを知ることができる場所。


【JR函館駅からスーパー白鳥に乗って木古内駅へ行き、
そこから路線バスに乗り換えて松城前で下車】

↓自分用に作って持ち歩いていたスケジュール表
松前スケpg

函館駅を出発して、 松山街道をひた走る旅、

七重浜を通り、矢不来、茂辺地といった地名を通るたびにテンションが上がる

列車は、土方隊が松前攻撃のために進軍した道をたどるように走る!!
七重浜→有川→富川→矢不来→茂辺地→木古内 というルートだ!!

『中島登覚え書』に
「十月廿八日土方公等七百余ノ兵ヲ引テ松前方面エ向フ。
 有川村ニ一泊ス。同廿九日同所出立茂辺地ニ一泊、同所出立木古内ニ宿陣。」

とあって、
五稜郭を出て、有川~(富川)~(矢不来)~茂辺地~木古内へと進軍していったことがわかる。

行きの電車は、まさに松前への進軍電車!!


でも、

帰りの電車はこの逆ルートを行くわけで、新政府軍の進軍によって旧幕府軍が撤退していったルートとそのまま重なるんだよなぁ

富川は、新政府軍が本陣を構えたところ

そして、

矢不来(やふらい)は、旧幕府軍と新政府軍との激戦「矢不来の戦い」の戦地だったところだ。
1869年4月29日に矢不来では、新政府軍を相手に大鳥さんも馬上で奮戦していたが、大軍相手でしかも海からの艦砲射撃が激しく、旧幕府側は敗走。
指揮をとっていた額兵隊隊長の星恂太郎さんは、敗走の中で自刃を覚悟。
しかし味方に励まされて富川まで撤退したといわれている。
やはり軍艦砲撃の威力はすさまじいなぁ…

茂辺地は、その矢不来の戦いがあった時に前線が置かれた場所だ。

浅い知識ではあるが、今まで本や資料で地名だけを読んでいたところを実際に今自分が通っていると思うと、それだけで胸がいっぱいになった…
ひとり、電車の中で、窓にヤモリのように張り付きっぱなしで、
ひたすら窓の外を食いいるように見ているオバサンだった(^_^;)


富川を過ぎたあたりで、電車の窓から見る函館山
いつも函館市内から見る角度よりかなり裏手から見た函館山だ!
新政府軍が登ってきたのはこんなところからだろうか!?
松前



木古内駅に着き、電車からバスに乗り換えて、
ここからは1時間半の路線バスの旅
松前

松前

今回は乗り換えのため数分しかいられなかったが、いつか木古内の戦場跡もめぐってみたいなぁ…
木古内の戦いもまた、大激戦地であった戦場。
明治2年4月12~13日の第一次木古内戦、4月20日の第二次木古内戦と2度に渡っての激戦地。
大鳥さんが軍を率いて奮戦。
第一次では新政府軍を撃退しているのだが、なんせ第二次戦は敵は兵力を増強させて来たし、海からの艦砲射撃も激しく…
軍艦の攻撃力はとにかく凄いのだ…
そして、新政府軍の兵力は無尽蔵だもんなぁ…
副長の「我兵に限り有り、官軍に限り無し」という言葉を思い出す。

伊庭八郎さんが重傷を負ったのもここだった。

この木古内戦(4/12~13、4/20)、矢不来戦(4/29)
の敗走を受けて、副長に二股口からの退却命令が下ったのだった。



路線バスから見る風景もまた印象的だった…

特急、バスと乗り継いできてここまではずっと海岸沿いを走っていたので、目に映る風景は海だったのだが、知内(しりうち)という地名を過ぎたあたりから風景は一変!!
山また山の田園風景に変わったのだ。

松前

これは松山街道が途中の知内あたりで山越えの道に変わるからだ。
それまでは海岸線に沿って道は続いていたのだが、一気に山の方へと入って行くのだ。
松前

ワタシが電車やバスの中から初秋のポカポカ陽気の中で見る風景とは違って、松前進軍当時は真冬。
初めて体験する蝦夷地の冬。極寒の中の進軍。
海沿いの街道を行く時は、海は荒れていただろうし、吹雪だったかもしれない
そして山道はさらに険しく、凍えながらの峠越え進軍。
副長はみんなに檄を飛ばしながら進んで行ったんだろうか!?
先陣隊や後方隊を含めて700人以上の大軍を率いていたのだから、
隊長というより総督だよなぁ…

1868年10月26日に五稜郭入城して、その2日後の28日にはもう松前目指して出陣している副長!
蝦夷地制平定のためには、まさに不眠不休の強行軍だった。


この知内は、松前藩領の入り口ともいえる場所だったらしい。
11月1日に、小舟に乗って密かに海側から回ってきた松前兵が土方隊に夜襲をかけたのが、知内なのだ。

『中島登覚え書』に
「霜月朔日知内村に宿陣ス。
此夜半頃敵兵不意ニ夜打ヲ仕掛ケ候処、敵兵敗テ逃去。」

と書かれている。

松前

松前


ひたすら田園風景の中をバスは走って行った



そして

ずっと山道が続いていたが、福島 という地名を過ぎた途端、突然また目の前が開けて、海がいっぱいに広がった!!

松前

いくつかの戦いを経ながら福島に達した土方隊。
福島の法界寺というお寺には松前兵の本陣があったとされている。

福島」という地名を聞いて、会津藩士たちは故郷を思い出したんじゃないかなぁ

松前


ここから松前に向けて出陣したのが11月4日

いよいよ松前に着陣だぁ~~~

松前②へ続く

カテゴリ: ・新選組

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ステカクの写真、キタ~

今朝、たっち~とユダさまのトークが早く読みたくてTVナビを買いにコンビニへ行った
で、行ったついでにTV雑誌をパラパラしていたら、

ステカクのコウジ写真が出ていたあああ!!

出ていたのは月間ザハイビジョン 12月号

表紙からしてミタニンなので、もしやと思って開いたら・・・
ステカナの相関図の次に、なんとステカク写真も!!!

ステカク主要キャスト5人の中にステカクコウジもあったのだ!!

きゃああ~
初めて見るこの写真~

※以下ネタばれですのでご注意を





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カテゴリ: ・ステキな金縛り

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箱館の旅~一本木関門への道 3

五稜郭から一本木関門へと続くまっすぐな道

これは幕末の頃に使われていた旧道そのものなのだ。

mitiipponn.jpg

この旧道は、松川街道と呼ばれていたそうだ。
拙宅のここでコメント欄からあき殿に教えていただきました。
あき殿、貴重な情報ありがとうございました\(^o^)/
この旧道が五稜郭へ向けてまっすぐになっているはずだ!
だってこの道は、もともと五稜郭建設用の資材の運搬等のために作られた道だったのだ
そして、その道を作ったのが、松川弁之助という人物だった。
なんと越後出身の方だった
松川弁之助について、函館図書館サイトの中の「函館人物史」に詳しく載っている。
「さらに五稜郭の工事の際、物資を運搬する道路を自費で完成させた。
 人々はこの道路を”松川街道”と呼び今日、松川町の町名として残っている。」



現在この旧道は、五稜郭から高砂通りになり、
途中で細い道になったり大通りになったりしながら、
最後は細い道になって、前の記事に書いた海岸町1の一本木関門跡へと至る。

そんな旧道を五稜郭から一本木関門まで歩くことにした。
歩いて、その距離感や、目に入る風景を実感してみたかったのだ。

地図にマーカーを引いたところが、旧道。
この地図を手に、一本木関門跡を目指した

DSC_03915555.jpg



まさに、この旧道は、5月11日に副長が駆けた道
一本木関門へと続く道

最後に副長が目指したもの、
目にしていたものはなんだったのか…

それを少しでも感じてみたいと思い、友と2人で五稜郭を出発した!

タワー0


五稜郭タワーを背後にして進む
一本木・道


箱館山が見える
一本木・道


箱館山が見える
っていうより、当時はビルもなく、人家もまばらで、さえぎるものがなかったはず…
箱館山しか目に入らない
一本木・道





五稜郭を出て20分足らずで千代ヶ岡台場跡に着いた。

千代ヶ岡台場跡は、五稜郭と一本木関門跡のちょうど中間地点にあり、
dscn014011.jpg

通りを隔ててすぐに中島三郎助最期の地碑がある
dscn013711.jpg
(千代ヶ岡に関しては別記事で書く予定です)


5月11日の朝、弁天台場から駆けつけた大野右仲さんは、千代ヶ岡陣屋で額兵隊二小隊と共に出撃しようとしていた副長に出会い、一緒に一本木関門へ向かったと『箱館戦記』に書いている。

そう、ここから一本木関門へ向かって出撃したのだ!!
めぜすは弁天台場だった…



ワタシも友と2人で千代ヶ岡から出陣!!
また旧道を歩き始めた!!

ひたすら見えるのは箱館山だ!!


少し歩くと、亀田川にかかる橋が見えてきた

一本木・道

この橋を渡ると大きい2つの通りに挟まれた細い道がある
地図で見ると、高砂通りと松代通りの間に細い道があるのだが、それが旧道なのだ!

旧道をひたすら歩く…

途中でまた少し大きい道路になったかと思うまもなく、また大きな交差点になった!
ここはちょっと複雑な交差点で、
一見すると、
「海岸町へ向かう大きな道路」
「八幡通り」、
「新川広路」
の三本の大きな道路に別れている三叉路に見えたのだが、よく地図と照らし合わせてみるともう1本細い道があるのだ!!

海岸町へ向かう道路と八幡通りの間に挟まれた細い路地、
それが旧道の続きだった!!

ここまで来ると、もう一本木関門まですぐだ!!

箱館山との距離感がどんどん縮まって、山が大きく見えてきた!
一本木・道

後ろを振り返ると遠くに五稜郭タワーが見えた
一本木・道


そしてついに、国道5号線が見えてきた時には、箱館山はかなりの大きさになっていた!!

一本木・道

そして、一本木関門跡に至った。

今は、いざ一本木関門跡にたどり着くと、ずっとそれまで見えていた函館山が建物の陰で見えなくなるのだが、当時はさえぎるものなど何もなかったはず…
箱館山が大きく見えていたに違いない!!


実際に旧道を歩いてみて思った。
とにかく、箱館山なのだ…と。

副長が最期に見ていたものは、箱館山だったのではないか…

彼が馬で駆けていた時、まっすぐ目指した一本木関門への道でずっと見えているのは箱館山…

そして、戦闘に向かう軍人としては、感傷的な思いなどめぐらすことなく
いかにして敵を倒すか
いかにして味方を救うか

弁天台場の仲間たちのもとへ向かおうとして、
そのためには目の前のの敵をただひたすら倒していく

死を覚悟しているのは、どんな戦いにおいてもそうだったと思う。

だから、特別に5月11日に死に向かっていたのではなく、最期まで、ひたすら敵を倒して勝つことに貪欲だったのでは…
軍人として、いや、侍として、「戦に勝つこと」に全身全霊を向けていて、そのほかの思いはなかったというより、そんな思いを巡らせていては勝てないと思う…

今、目の前で戦っている敵に勝つこと

それのみだった気がした。

銃弾が副長を貫くまでは。

勝つために戦い、、そしてここで敵を押し戻して進撃して
弁天台場の仲間たちのもとへ駆けつけるために…戦い続ける

すべての状況が劣勢になっていても、目の前の戦いに勝つことに魂を燃やし続けていた、そんな気がした。

ワタシの勝手な想像にすぎないが…

五稜郭から一本木関門跡まで小一時間かけて旧道を歩いてみて、
箱館山がいつも目の前にあり、
それがどんどん近づいてくる光景を実感して、
その思いが強くなった。


副長があの日駆け抜けた、1本のまっすぐな道…



本当に貴重な体験だった。


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箱館の旅~一本木関門への道 2

最期の地碑を後にし、いよいよ一本木関門跡へ向かった。

海岸町と若松町のちょうど境にあたるところに舗装されていない道があった。

一本木・道

一本木・道

これは、亀田川支流らしき跡、つまりは川があった名残らしい。
そして、一本木関門は、この川に沿ってあったということだ。

一本木・道



目の前は幹線道路の国道5号線。
一本木・道

後ろを振り返ると、五稜郭へ続く旧道が続いていた。
(奥に五稜郭タワーが見える)
一本木・道

このガソリンスタンドを過ぎると国道5号線に出る
一本木・道



五稜郭から旧道をまっすぐ来ると、国道5号線にぶつかるのだが、
そのぶつかったあたりが関門だったということだ。


国道5号線の向こうは、今は埋め立てられてJRの敷地になっているが、当時は浜だったらしい。
黄色い矢印あたりが関門のあった付近で、その手前に広がるJRの敷地は当時は浜だったとのこと
umikannmomm.jpg



つまり、関門のすぐ先はもう海岸だったということになる。



五稜郭を背にして、左へ行けば函館山方向、右へ行けば七重浜方面

そんな拠点となる場所に関門はあったわけだ。




この地に立って、頭の中でイメージしてみた…
(拙者の勝手な想像っす)

写真は、五稜郭から見た旧道と函館山
mitiipponn2.jpg


五稜郭から千代ヶ岡陣屋へ、
そして、千代ヶ岡陣屋から出撃して、
まっすぐの道を馬を飛ばして一本木関門に来た副長。

関門の先に広がるのは海
そして眼中には箱館山。

その箱館山のすぐ下には弁天台場があり、新選組隊士たちが孤立している

箱館山を越えて、箱館の街を縦断しつつ迫りくる新政府軍
七重浜方面からも、海からの艦砲砲撃と陸から迫りくる新政府軍
そんな、大激戦の中、ここ一本木関門は、その両面からの攻撃を受ける拠点ともいうべき場所だったろう。

箱館から敗走してくる味方の軍勢
七重浜では砲撃が続く中の激戦

そんな劣勢の中で大音響が響き
新政府軍の朝陽が大爆発を起こして撃沈されていった!!
さんざん味方の軍勢に砲撃を加えていた敵の軍艦が、海へと沈んでいく…

いっきに歓声があがり、

「この機を逃すな!!退く者は斬る!!」
と、関門付近で馬上で抜刀し、檄を飛ばす副長

劣勢だった旧幕府軍が勢いを取り戻して押し返す
進め~と檄を飛ばし続ける馬上の副長

そして、七重浜方面へもさらに攻撃命令を出す副長

・・・

・・・・・

・・・・・・

・・・

・・



頭の中で浮かべてみたが、そこまでだった…
それ以上は、想像が進まなかった…

「その時」はいったい
いつ、どこでだったんだろうか

関門付近だったのか
もっと箱館寄りのどこかだったのか
あるいは…

今は一本木関門付近だという説が強いようだが、
真実はわからないまま



いまだに真実はわからないが、
馬上だったと思う、そしておそらくは抜刀していただろうと思う

それだけで私には十分だ。

いつどこで「その時」を迎えたのか、その詳細がわからなくても
最期まで刀を持って戦い抜いたということだけでいい!!

仲間を救うため、最期まで戦い抜いた副長がいるってことだけでいい!!
それだけでいい!!それだけでいいのだ!!


今回初めて最期の地碑や一本木関門跡を訪れてみて、
自分の中で湧きあがってきた思いがこれだった。
もうこの思いが強く強く湧きあがってきて
まさに胸が張り裂けそう、いや張り裂けたのだった~


函館に来てまだ1時間あまりしか経っていなかったのに、
「もうすでにここで胸が張り裂けたんで、日野に帰りたい~
もうこれ以上無理だ、いっぱいいっぱいだから、これで帰りたい」
と一瞬本気で帰ろうと思ったほどだった…

バカみたいじゃのう(^_^;)
思い込みが強過ぎて、どうにもならんです(^_^;)

函館に着いてすぐに、この地に立てただけで、もう、函館に来て良かったと心の底から思ったのだった



そして、5月11日の副長の駆け抜けた道を
自分の足で追ってみたくなった。





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