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誠に生きる 第一章

誠に生きる 第二章

2011箱館の旅 (途中)

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誠に生きる〈第三章〉  

副長を崇拝しHEDWIGを愛し山本耕史さんを応援する日記

街角テンペスト

次から次で、今は何のネタで何をどう書いているのやら
自分でもわけわからんです(^_^;)

そうだ、今日はテンペストネタもあったんだった



今日の夕方、夫と娘から続けざまに写メが送られてきた

まずは、相変わらず学生生活を続けているバカ夫。
用事があって下北沢で途中下車したそうだが

「下北はテンペでいっぱい」というメールと共にこの写メ

京王井の頭線と小田急線の連絡通路で撮ったそうな
うお!!すげぇ~
まさにテンペストロード状態
テンペスト


そして、バカ娘からの写メ
バイト帰りに吉祥寺に寄ったそうで
京王井の頭線の吉祥寺駅ホームで撮ったとのこと
テンペスト

どちらも井の頭線だった。

他の沿線はどうなんだろうか!?


宣伝用にはこのバージョンのポスターなのかなぁ…

浅倉殿が大きく映っているバージョンもあればいいなぁ…
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カテゴリ: ・テンペスト

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うお!!半兵衛殿がいる!(追記あり)

半兵衛友から教えてもらいました!
友よ、かたじけないことでござる(^O^)/


二人の軍師サイトにスタッフブログができていた!

毎日何度もチェックしているこのサイトなんだが、
こんなスタブロがあるなんて気づかなかった…

もしかして今まで知らなかったのは拙者だけか

もう、あまりにあちこちあって気が回らんて(^_^;)


拙宅のここで書いたクランクインのお祓いの様子も、ここに出ているじゃないかぁ~

お祓いには、主役二人のほかに、
貫地谷しほりさん、京野ことみさん、松金よね子さん、近藤芳正さん
とな!!

うおお~松金さんだぁ~
八木のお内儀お雅さんじゃないかぁ~~~
雅さんといえばおなじみの
「あれもおらんかった」
「この人らが来てからいちばん嬉しい~」
「黒神~~~」
あははは~(^◇^)

で、甲冑姿ではない半兵衛さまの写真も載っていた!!
このヅラがまた似合うなぁ~
この切なげな表情がまたエエのう

会見・ポスター取り風景あり~の

おお官兵衛殿の地下牢もあるううう~

地下牢と聞くと、なんかときめく(何)
いや、「座敷牢」とか「地下牢」と聞くとなぜか萌えるんで(あはは)

このスタッフブログ、ツボをきちんとおさえている気がする。
ってことは、甲冑姿の戦場の半兵衛さまも近々載るかも(ワクワク)


(追記)
こんな記事を見つけましてん(^_^;)
こう、なんつうか、話題作り的なゲスト出演でせうか
うう~む
でも、この記事の「黒田官兵衛の配下で義兄の源蔵役の高嶋政伸さん」という一文で、高嶋さんも出るのがわかった。
キャスティングもだんだんわかってきましたな!

カテゴリ: ・竹中半兵衛

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流山を歩く 【 その参 】

光明院でいろんな思いをめぐらせた後、江戸川のもうひとつの渡し跡をめざして歩いた。

その途中で、別の分宿の寺である流山寺があった。


流山寺

流山
建物は火事で焼失して昭和40年に再建されたので、当時の面影はない



丹後の渡し跡

慶応4年(1868年)4月1日深夜から2日未明にかけて
五兵衛新田から流山に入る時に使った渡し場の跡。

流山


局長はここから流山に入った。
そしてこちらの渡し場から流山を去って行った…

江戸川をはさんだこちらと向こうの世界
土手に立ってその風景を見ながら局長を、そして副長を思い、
河の幅の広さ以上に大きく立ちはだかるものを感じた…
流山


土手には彼岸花が咲いていた。

流山




ここで今回の流山の旅は終わった。

どの場所も感慨深かったが、やはり渡し場跡の土手に立った時、なんとも言えない思いが湧きあがってきた。
この場所で、局長は何を思っていたんだろう・・・と。

流山での局長と副長の別れの時は、どんな会話がかわされたのだろうか…
実際のふたりはどんな思いを抱いていたんだろうか…

流山という地が大きくふたりの運命を分けてしまう場所になってしまった。
だから流山という地名は、その文字を目にしただけでいつも切なくなってしまうのだなぁ

流山


カテゴリ: ・新選組

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流山を歩く 【 その弐 】

博物館を出て、江戸川の土手へ向かった…


矢河原の渡し跡

新政府軍に出頭した局長が、この渡し場から対岸へと去って行った場所。

PA0_0324.jpg

深夜で真っ暗だったから、局長は何も目に入らなかったかもしれないが…
今、この土手に立って振り返ってみると、右に流山本陣跡がある。
局長は、副長のいる本陣を背に何を思っていたんだろうか…

PA0_0323.jpg



流山本陣 長岡屋跡

(※跡だけで建物はないんで、後ろの古い蔵は当時のものとは違う)
PA0_0318.jpg

流山

流山

誠の旗が風になびいていた。
流山

PA0_0315.jpg

今は取り壊されてしまって建物はないが、土台が残っていた
PA0_0314.jpg

局長と副長がいた蔵は、この本陣跡の左にある駐車場あたりに建っていたらしい。
【その壱】にアップした階段のみが現存。


ここから分宿の光明院までの道は1本道。
本陣から光明院までのこの1本道は、局長が有馬さまを案内した道なのかもしれない…

実際に歩いてみた。



光明院
新選組が分宿したお寺。

組!の第48話で有馬さまが案内されてきて誠の旗を見てしまうシーンはこのお寺かなぁ
スナイパー副長のあの場面!

流山

流山

境内の中の森
ここで調練をしていたのだろうか・・・・
流山


続く

カテゴリ: ・新選組

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流山を歩く 【 その壱 】

先日、流山を歩いてきた。

“流山”・・・

この地名を目にしただけで、胸に迫るのもがある

思うだけでいっぱいいっぱなんで、なかなか文字にできないなぁ
でも、やっぱり自分の思い出としてちょっと書いておこう。


五兵衛新田に入ったのが1868年3月13日

そして、

4月1日の夜に五兵衛新田を発ち、
4月2日未明に流山に着陣
4月3日の午後には新政府軍に本陣が包囲され、局長が出頭。

こんなにも短い滞在なのだなぁ・・・

流山、とにかくこの地名を見るとあかんのです(涙)


流山駅に降り立ち、ホームですでに涙目

流山

街のあちこちにある「流山」という文字を目にするたびに立ち止まってしまった
流山

流山

流山


流山の本陣については、平成15年に発見された恩田家文書によって長岡七郎兵衛方が本陣と判明。
この本陣に局長・副長がいて、さらに光明院や流山寺などが分宿として使われたらしい。

今回の流山歩きは、本陣長岡屋跡、光明院、流山寺、本陣で実際に使われていた階段が展示されている市立博物館、江戸川の土手にある渡し跡、を訪ねてみた。




流山市立博物館

この博物館は、駿河田中藩本多家の下屋敷があった場所に建てられているのだが、流山入りした新選組はここを拠点にしようと計画していたらしい。

流山

(階段とパネルの撮影・ブログ掲載は、入館した時に博物館の方に伺い、許可をとりました)



流山本陣長岡屋の蔵にあった階段

この階段、局長も副長も上ったり下りたりしたんだろうなぁ
ふたり並んで上ったかもしれない…
ふたりならんで下りたかもしれない…

流山

この一段一段を、どんな思いで上ったのだろう
どんな話をしながら下りたのだろう

流山

組!第48話『流山』で副長が有馬さまの応対に出ている場面で、副長の背後に階段が映っていますな。



新選組展示コーナー

流山

恩田家文書が展示されているはずだったが、この日は展示物の整理中で展示コーナーが閉じられていた。
うう~残念だったなぁ…

でも、博物館の方から資料のコピーをいただいた!

資料にある慶応4年4月3日の原文には、
「長岡七郎兵衛方本陣相成、此家大将大久保大和、内藤隼人両人その其外大勢かり居る。」
と確かに記されていた!
( こちらに詳しく載ってます)

続く

カテゴリ: ・新選組

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