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誠に生きる 第一章

誠に生きる 第二章

2011箱館の旅 (途中)

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誠に生きる〈第三章〉  

副長を崇拝しHEDWIGを愛し山本耕史さんを応援する日記

早いな!!!!!

拙宅のカウントダウンが0DAYになった!!

いよいよ、明日は、雅が牙を6・9(むく)日

しっかし、アマゾンキャンセルしてマグさんに頼んだから
明日届くかなあ~(^_^;)

ウゴウゴしてきた(何)


と、レンタルDVDに行ってきたバカ夫が

「これもう出てたからぁ~レンタルしてきちゃった」

とDVDで再生し出したのがのが、これだっだあああ

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カテゴリ: ・彼岸島

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こんな函館土産をもらった!

拙宅のここで紹介した『土方歳三あんぱんと榎本武揚あんぱん』

なんと今、手元にあるううううう

函館土産

組!友だちが函館の旅へ出ていて、お土産に買ってきてくれたのだ(嬉泣)
友よ、本当にありがとう

まだ食べずに、ちょっと飾っておこう~

で、こんなワインまでもらいましたぁぁぁ

『函館ワイン 果てなき夢』
ワインラベルの副長写真の下にはちゃんと
「写真提供 土方資料館」
と書いてありました!!
函館土産


そして、JR北海道 車内フリーペーパーも!!
箱館奉行所と幕末の特集記事があった!

函館土産

函館土産


こんなにいろいろもらってしまい、大大大感激しましたぁぁぁ
友よ、本当にありがとう

さて、このワインはいつあけようか・・・
今月の20日は副長の新暦での命日だから、その時にしようかな

函館土産

カテゴリ: ・新選組

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「長岡も落ちた」

昨日は、夕食の時やたらと飲んでベロベロになってしまった。

幕末語りが始まってしまい、語れば語るほど酒がすすみ、
飲むとまたテンションが上がり、上がると飲む・・・
というエンドレスモードになってしまった(^_^;)

熱く語っても誰も耳を傾けない…
食事が終わるとみんな食卓からいなくなった・・・

誰も聞いてねぇ~~~

聞いているは、犬だけじゃねぇかあああ


時たま起きるのだ、こういう幕末発作が(何)
酒の勢いもあってか、無性に幕末を語ってしまう、涙まで浮かべて

「こうなったら、誰にも止められないのよ」

誰も聞いていないのになぁ(虚)

さんざん語ってベロベロのままその辺で寝てしまい、
起きたら夜中だった

誰も食器洗ってねぇ~~~

夜中に頭をガンガンさせながら皿洗いをするバカ
夜中になる前に誰か起こせよ

きっと起こすとまたウザく語るから、
家族は「さわらぬ神に祟りなし」をきめこんだんだろうて

あははは(^_^;)


きのうは長岡藩を熱く語ってしまったなぁ・・・

ワタシの“幕末発作”“長岡”が多い気がする・・・

やっぱ、越後出身だし…

でも、幕末仲間と話していると、会津や仙台は詳しくても、長岡藩に関してはそんなに詳しくまで知らないことが多いのだ。

だから組!!「長岡」という言葉が出てきたときは、
本当に嬉しかった(嬉涙)


容保様の台詞
「土方!長岡も落ちた。つぎは会津だ。もはや我らに勝機はない」

そして、副長の台詞
「会津も負けた、長岡も落ちた。すでに一度負けたやつらのいったい誰が援軍に来てくれるっていうんだ」

副長の口から「長岡」の言葉がぁぁ~~~
あの声で発してくれた「長岡」
ううううううう~
三谷さんありがとう~~~
「ながおか」を入れてくれて本当にありがとう



長岡…

徳川家への忠誠心の深さでは会津に負けないくらいだった。
わずか7万石の小藩で、最後まで徳川方だった。

河井継之助さんは、江戸にいたころ、
蘭学や西洋の近代化も学んでいたし、(象山先生などからも学んでいた)、
松山に行って財政再建の為の陽明学も学び、長崎まで遊学の旅をしていた。
早くから攘夷よりも開国を唱えていたほど近代的な志向の方だったし、
無用な戦いは避けるという考えの持ち主だった・・・

借金だらけの藩をわずか数年で立て直した。

なのに、やはり「忠義を尽くすという」武士の魂が・・・
三河以来の譜代大名だった長岡藩、
藩主の絶対的な徳川への忠誠心
これを河井さんは執政という立場で一身に背負っていたんだよなぁ・・・


数年前に小千谷と長岡へ行き、河井継之助さんの軌跡を訪ねたのだが、
慈眼寺では住職がマンツーマンで時間をかけてお話を聞かせてくださった。
小千谷会談の間で聞く北越戦争の話~なんちゅう贅沢な時間だっただろうか…
住職は、
「新政府軍も幕府軍も、同じように国のために命を落とした人たちだから、同じ思いで手厚く弔っています」
とおっしゃっていた。

長岡にある栄涼寺の継之助さんのお墓を見たときは、涙が出ましたなぁ
あまりにもお墓がいたんでいて…
傷だらけで…

すぐ近くの日のあたる場所には、立派な長岡藩主牧野忠恭様のお墓があり、
その奥の、なんだかひっそりした影のあるる場所に、目立たないようにあった継之助さんのお墓。

「藩の石高を激減され、城下を焦土にした責任者として河合は恨まれ、墓に乱暴を働くものが絶えなかったという」
(講談社:週間ビジュアル 『河井継之助と北越戦争』より)

奥様の河井すがさんは、継之助さんの死を牢獄の中で聞いている。
そして戦争後は故郷を追われ、最後は北海道の江別でお亡くなりになっている(涙)

長岡駅近くの『河井継之助記念館』で司馬遼太郎さんの『峠』の生原稿の複製を見たときは、嬉しかったなぁ
私の河井継之助の原点はこの作品だから。

ああ、こうして書いていると、長々と語ってしまいそうだ。

北越戦争は知れば知るほど興味が湧くのだ!!
なんせ、長岡での奥羽越列藩同盟軍は、あの奇兵隊から一度奪われた長岡城を奪還したんだから!!
圧倒的な新政府軍に対して、絶対的に少ない数での戦いぶりはすごいのだぁ~

キーワードの「ガットリング砲」は、宮古湾を思い出すし、
負傷して会津に運ばれた継之助さんを診察したのが、あのドクター松本良順なのだ

うおおお~
書いているだけで、熱くなるううう


ああ、絶対また近いうちにあらためて長岡や小千谷を訪ねたい!!
そして、長編レポ記事を書いてみたいなぁ

カテゴリ: ・新選組

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